延原時行歌集「命輝く」(第3020回)(ビワと蝶々)

 延原時行歌集「命輝く」(第3020回)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も初めに先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

○(27日)ロゴスとロゴスの歌(三)逆理論八首
     (* 鳥飼先生 5/26, 2018 22:26)

一 此処でぞや重大質問出でにけり「忠(至)誠」「覚醒」何処からそも

二 我答ふ神も物もや空に至誠神至誠をぞ物に喚起す  (備考:この歌、我が「至誠心の神学」第一原理「空に神は至誠なり」と第三原理「神は宇宙に於いて被造物に至誠心を喚起することの出来、また現に喚起する唯一の御方なり」を描きしなり。ちなみに、第三原理「空は空自らを空ず」なり。第一原理を一言で、「忠誠」と言ひても良し。第三原理は、「忠誠への、ないしは、恩師の表記法では、絶対被決定Kontingenzへの、喚起すなわち覚醒」と言ひても良からむ。かく解すれば、第一原理「忠誠」と第三原理「覚醒」は逆理なり)

三 汝らの父至誠なる如くにや汝らも至誠なれやとイエス宣ふ  (備考:『マタイ』5・48、私訳なり。我が持論はや、聖書聖句に形而上学成句なるもの多し。これ、その代表的一例なり。その含意たるや、「汝らの在天の父が全き」が如く、即ち、父の「在天」の存在に至誠なる如く、なり。我が解釈では、「在天の存在」=「三位一体的場所に在る存在」なり。そこで初めて、「かかる場所存在」に至誠、といふ尊厳態が問題にされていることが了解さるるなり。さう解されざれば、何が問題とされているかが皆目明らめられず)

四 汝らの父「天=空」に至誠なりその如く汝地に至誠たれ  (備考:前半は、存在論的記述なり。後半は、(先の「存在論的記述」を含んだ上で)地の住人=受肉者としての自覚的叙述なり)

五 至誠はや空に神のや在り方Seinsweiseでもしさうならばロゴス深しや

六 深しとや「神共」ロゴス両極の父子の位置こそ含めてやそも

七 かくてぞや「神共」ロゴス恩師言ふ「太初」内住深くや深し

八 「神共」や神の内部の「原受肉」「太初」に孕むロゴス神人
  (備考:我々は「神・言=原受肉」→「太初=神・人=内住」の根本的プロセスに注目せねばならぬ)

IXIA!
延原時行


ぶらり散歩で見つけたビワとひろばの蝶々たち・・・

そして、花々・・・

ひろばの雑草たち・・・



延原時行歌集「命輝く」(第3019回)(再訪「須磨離宮公園」)

 延原時行歌集「命輝く」(第3019回)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

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○(26日)ロゴスとロゴスの歌(二)相補論十首
     (* 鳥飼先生 5/25, 2018 21:55)

一 恩師言ふ「太初のロゴス」「御子」なるは法性法身即弥陀仏の如  (備考:これ滝沢特有の仏基論的ロゴス論なり)

二 されど汝がロゴスぞやそも存在者直属のぞや「本質規定」

三 このロゴス事実存在とや相補共在なしつ「忠誠や喚ぶ」

四 ロゴスぞや事実存在より“前”かいやそれと「共」にぞ神性に在り

五 信とはぞ「神性」に在る絶対の被決定Kontingenzへの覚醒なるや

六 かくなれば被決定とや覚醒や単に相補か否逆理なり 

七 而してや「被決定」ぞや「空至誠」「覚醒」誠「神至誠喚ぶ」

八 恩師のや相補ぞ誠我にとり「空至誠」とや「喚ぶ」の逆理ぞ

九 これまこと「神共」ロゴス「太初」とや交はす逆理の物語

十 この逆理根柢までや窮むれば我の名付ける「原受肉」在り  (備考:我がロゴス論的考察によれば、滝沢の所謂「インマヌエルの原事実」即ち「太初」のロゴス(『ヨハネ』1・1・第一項)は、「神共」のロゴス(同第二項)より発する「神内部のインマヌエル」(神・ロゴス=インマヌエル:原語では《pros ton theon》)がそこに於いて身籠る「原受肉」《The Proto-incarnation》 のプロセスの完成を意味する。このプロセスは、イエスの「神の国の到来」の宣教に明らかなように、さらに、①「神の」(=「神共」ロゴス)+②「国」(=「太初」ロゴス)の発展としての③「到来」(ホワイトヘッドの《Partaking「参与」》[Dialogues of ANW, 366]の意味する部分が現在的にかつ哲学的に重要なり。ちなみに、本書『哲学の喜び』の講義本文で我の《根源的哲学原理》と名付けている「原事実の新しい現在の産み出し」)が我が「哲悦」と呼ぶものの原基を成すなり。)
  (つづく)
IXIA!
延原時行


一昨日の徳島からの若者の来客を昨日「ハーブ園」にお連れする予定を変更して須磨離宮公園に出掛けました。好天気でちびっ子たちで大賑わい・・・恒例の春の薔薇展の開催中でした。

月見台休憩所から「天皇の石段」を下りて「新池」へ・・スイレンと花しょうぶを・・・

ツバメたちもやってきました。

離宮公園の銘木「くすのき」とひとつの根っこから三本の大木と・・

延原時行歌集「命輝く」(第3018回)(サボテンの花、お見事!)

 延原時行歌集「命輝く」(第3018回)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

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○(25日)ロゴスとロゴスの歌
     (* 鳥飼先生 5/24, 2018 22:05)

一 恩師のや直覚正に煌きぬロゴスとロゴス相補示すや

二 この事の何といふべき真実かこれを除きて真実やなし

三 我が持論「至誠心のぞ神学」や恩師「太初」のロゴスもっぱら

四 或日そも両者激突恩師はや見事に相補示されにけり  (備考:「学兄が「事実的存在(者)もロゴスも絶対無に忠誠である」といはれる時の「ロゴス」は、せいぜい、存在者に(理論的にはそれの一切の表現形態に先立って*)*=仰せの「物に存在論的と価値論的と二つの次元の忠誠がある、前者にまた二様の様態がある、といふことも、私がここに云ったことに含まれて来ることでせう= 無条件に直属する根源的・普遍的本質規定であって、私のいふ「ロゴス」ではありません。私のいふ「太初の言」は、一々の存在者と共に在る限りの神性そのものーーつまり、神学の用語だと永遠の父と全く等しい永遠の御子、浄土真宗でいふと、(キリスト教神学同様真宗にもふつうの伝統的宗学にもふつうの伝統的な宗学ではどうにもならぬ微妙な問題がありますけれども)法性法身と全く同一の久遠実成阿弥陀仏――です。延原さんの「ロゴス」といふのは、物の事実存在と(相補的に)共在する根源的普遍的・本質規定(こういふものとしてそれは「忠誠を促すもの」です)のことです」のことでせう。それならばむろんそれは、「事実存在より“前”ではなく」それと「共に」神性において在るものです。/ 人間をはじめこの世界の内部に現はれる「価値」の問題、「信」が「覚」かといふやうなことも――たとえば信も、それ自身同様に有限の物の法性法身=「神性」における絶対被決定Kontingenzへの覚醒でなくては、真正の信とは云えない――ここをしかと踏まへれば、すべて第二次的・第二義的なこととして自然に明らかになりませう」(『純粋神人学序説』159頁)
 (つづく)
IXIA!
延原時行 


ご近所のお宅のサボテンの花を眺めるのが日課となっていますが、二日間咲かなかった花が、期待通り昨日は、今年最高の見事な花を咲かせていました。御主人も大満足でした。一日だけ咲いて散る花ですね。御主人からいただいた我が家のサボテンはまだまだ咲く気配はありません。

昨夜は久しぶりに徳島から友人の来訪を受け、遅くまで愉快な語らいを・・狭い我が家に泊って頂き、今日は好天気ですので、ロープウエイに乗ってハーブ園に出掛けてみようかと・・・

次の写真は、昨日の住宅の花壇です。


延原時行歌集「命輝く」(第3017回)(花壇のアマリリスと薔薇とアジサイ)

 延原時行歌集「命輝く」(第3017回)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

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○(24日)滝沢哲悦謝するの歌七首
     (* 鳥飼先生 5/23, 2018 15:19)

一 哲悦ぞ一人遊びの歓喜なり恩師これをぞ「自己存在の」と

二 此処のぞや文面全部映したし懐かしきこそ「見窮め」の語ぞ
  (備考:「どうも学兄が見てそこの区別・関係・順序を明らかに云ひ表はさうとして居られること、厳密に学問的であらうとなさるその御苦心はよく分かりますが、私自身も仰せの諸面を切り棄てて云ってゐるのではない、ただそのやうな諸面は自己存在の事実そのものに堅くとどまることで、ほんのもう一歩よく見窮めやうとしてゐるだけであるやうに思われるのです」《滝沢書簡:1983年7月1日付》拙著『平安あって平和なる』(新潟・考古堂、2017年)159-160頁、参照)

三 恩師のや「不可逆的」の一語はや我が「忠誠」に相応なりと  (備考:「(八木氏の場合は、その肝心要の一点がまだよく見えてゐないのではないか、さうでなければ(滝沢は初めから終はりまで区別だ、人格的に不可逆の一点に偏してゐるなどといふ批判が出るはずがない、と思はれるのです)(又氏では、延原さんのいふ第一次の忠誠、その二重の構造も十分明らかではないやうです。純粋直観の事において思惟が絶えて、新しく生まれる、といってもその思惟の存在論的必然性が身に沁みて来ない、どこか主観的な構造になって行っている感じです)」(同160頁)

四 空に神至誠なればや翻り神人に至誠喚起し給ふ  (備考:「空神至誠」「神人至誠喚起」の間には逆理あるなり)

五 空神人存在論的至誠あり神それ自覚我ら不覚も
  (備考:空=神性に、神も[人を含む]万物も、有無を言はせず存在論的に至誠なり。これ第一次的至誠なり。次に、神のみ、この第一次的至誠を「自覚」なさるなり。神のみ、存在論的存在に、有無を言わせず存在論的に至誠なる在り方とその存在論的至誠心を「自覚」なさる、自覚論的在り方が含まれるなり。その意味で神の在り方Seinsweiseは、二重なり。さうでなければ、万物の創造やなし。この延原理論、恩師御理解いただきたり。何たる感恩ぞ!)

六 神人や不可分なるも神自覚人無自覚ぞかくて不可同  (備考:この不可同論、恩師詳しい御論評なし。なお、神人不可分の「不可分」我「空性」と取るなり。これ我のユニーク論なり。)

七 されど神不可同なるも不可同の人愛するや不可逆的に
  (備考:この神人不可逆論、恩師詳しい御論評なし。この論、したがって、我がユニーク論なり)

IXIA!
延原時行


昨日の花壇のアマリリスと薔薇とアジサイ

ご近所のお宅のサボテンの花を見届けるのが、この頃の楽しみの一つですが、この二日間、なかなか花を開いてくれません。

ぶらり散歩をしていると、どのお宅も、薔薇たちがいま、いちばん美しく咲いています。

広場に咲く黄色い花・・・これは何という花?

延原時行歌集「命輝く」(第3016回)(アンズとゴブ)

 延原時行歌集「命輝く」(第3016回)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

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○(23日)法悦不思議の歌六
     (* 鳥飼先生 5/22, 2018 21:11)

一 哲悦や極みに往くや法悦ぞ創作用のや性(さが)成す歌ふ

二 創作用そも究極事性(さが)成すや無自性なるに大悲事に寄す  (備考:復唱。創作用=法性法身=空性。事=一々の存在者、無自性=substancelessness)

三 かく見れば社会哲学轍(わだち)超え神表現や偶有Kontingenzに咲く
  (備考:恩師の表記では、偶有Kontingenzは、「絶対的被決定」なり。これ「神表現」と逆理をなすなり。逆理(paradoxical relation)とは、我が「至誠心の神学」によれば、第一原理:空に神至誠なり;第二原理:空は空自らを空ず;第三原理:神は宇宙に於いて被造物に至誠心を喚
起することが出来、かつ現に喚起なすところの唯一の御方なり、の三原理ありて、①と③の関係を言ふなり。従って、①と③とは癒着せず)

四 イエスもや野の花根源「働かぬ」宣ひつつも「神装ふ」称す  (備考:『マタイ』6・28-30、熟読参照)

五 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す  (備考:復唱。この歌、我が最重要の神学的短歌なり)

六 どの歌も人生宇宙究極に誘ひてやこそ法悦やあり

IXIA!
延原時行


アンズの実も日に日に大きくなってきました。

むかし故郷で味を知ったゴブの木を育てていますが、昨日のぶらり散歩で、ゴブの木らしき赤い実をみつけました。よくみれば故郷で味わったあのゴブの実とは違っていましたが・・・

ご近所の公園でも奇麗な花々が目に留まりました。

終りに、三匹の猫ちゃん・・・


   

延原時行歌集「命輝く」(第3015回)(サボテンと薔薇)

 延原時行歌集「命輝く」(第3015回)
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○(22日)哲悦三態の歌八首
     (* 鳥飼先生 5/21, 2018 22:44)

一 哲悦や始原の真理「創作用」そも輝きて初志や震へむ

二 哲悦や祈りの心「神表現」そも輝きて御名崇むべし

三 哲悦や御友の愛や「共創」ぞほのと輝き笑み飛翔すや

四 哲悦を恵まれし人誠にや初志御名笑みに輝きてあり

五 哲悦を拝受せぬ者なぜとなく初志なく御名なく笑み知らぬなり

六 初志なくば自ら知るの心なく他者の言葉を借りて生くるや

七 御名なくば崇む心やこれとなく社会哲学のみ関心事なり

八 笑みなくば御友の心知らずして人ぞ利用の対象ぞかし

IXIA!
延原時行

日毎に新しい花を開く美しいサボテンを眺める楽しみが続きます。

今年もビワの実などもが豊かに実りました。

スズメたちも元気です。

紫陽花と薔薇の季節です。

おわりに私たちの花壇の花たちを・・・


延原時行歌集「命輝く」(第3014回)(神戸栄光教会)

 延原時行歌集「命輝く」(第3014回)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
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○(21日)哲悦今咲くの歌七首
     (* 鳥飼先生 5/20, 2018 21:57)

一 哲悦や一人遊びをなす我の新現在にそもほのと咲く

二 「創作用」「神表現」や「共創」に恵まれてぞやそもほのと咲く

三 咲く時や地球ほのぼの温みあり他者の思ひを用ひずや今

四 「創作用」始原にしてや「神表現」喚ばるるうちに「共創」夙に

五 哲悦やそもほのと咲く新現在「原事実」にや産み出だされつ

六 哲悦や咲けばどこにも他者の作盗む謂れや在る事ぞなし

七 されどもや地球仄々温みあり多即一のぞ友哲悦や

IXIA!
延原時行

昨日はペンテコステ! 毎年50年以上も出席し続けている日本基督教団兵庫教区の定期総会が昨日と今日と二日間、神戸栄光教会で開催され、部分参加ですが・・・初日には新しい教区議長も選出して、熱心な会議が進んでいます。『神戸栄光教会130年史』や創立110年を迎えた『草創期の神戸東部教会の歩み』などもいただき、同労の牧師たちともお出合いして・・・ただいま『賀川豊彦と神戸―「番町出合いの家」の50年』(仮題)の草稿に推敲を重ねていますが、私たちの小さな実験もいままとめておく意味合いもあるようです。

今朝も爽やかな初夏の景色が広がっていますが、本日の写真は、我が家のベランダから望む昨日の景色と定期総会の行われている神戸栄光教会です。