延原時行歌集「命輝く」(第3023回)(ビワとサクランボ、そしてゴブ)

 延原時行歌集「命輝く」(第3023回)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も初めに先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

〇(6月1日)滝沢純粋神人論反省の歌(四)底飛翔二十七首
      (* 鳥飼先生 5/31, 2018 13:51)

一 誠にや日ノ本人士寡黙なり汝何をぞ信ずるやそも

二 我やしも地球人士にこの問を内面巡り突きつけたしや

三 日ノ本の教会にてもこの問を突きつけて見よ反応鈍し

四 人々は社会哲学(習慣)生くるやも心の信条明らかにせず

五 これこそや本書で我が哲悦と呼びて明む努めしわざよ

六 このわざや良寛の語を借りてぞや我一人遊びと呼びにけりかも  (備考:本書の根本的立場、「一人遊び」なること、最後の重要点にいたりて煌きたるを我喜ぶ)

七 御神の御前に立ちて己が信根底までや尋ねたる末

八 ありありと見えたるやこそ哲悦や恩師滝沢語録辿りて

九 恩師はや問の場をぞや極限す「深き低み」ぞその名なりけり

十 ただ一つ御師の問はぬ根城あり「深き低み」の底ぞこれなり  (備考:「今や彼は、たとえ最も聖なるものであるにせよ、あの形態とインマヌエスの原事実、太初の唯一の言と混同する(区別なしに同一化する)ことはできないのであり、それゆえに一方ではあの聖なるものを、他方では人間の「原罪」を、妄想的・宗教的に絶対化することはできないのである。インマヌエルの原事実にまったく単純に規定されて、彼自身の身は深い低みに置かれており、そこに与えられた聖なる限界の背後に歩み出てさらに深く下降することはできないし、またしようともしないのである。そしてそのような、あらゆる比較をこえて絶対的に低みにある存在として、彼は言い表し得ない感謝と恥じらいとをもって、自分を高く位置づけることはまったく無意味であり、また自分自身の安心と活動のために、どこかに聖なる場所を捜し求める必要もない、ということを知るのである。今や彼には新しい道が開かれており、与えられた形態を不安なしに見ることができ、それが事実どうあるのかを判断できるのである。」『純粋神人学序説』274頁)

十一 我書きぬ最重要の一首なりそもその主題恩師禁断

十二 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す   (備考:復唱)

十三 これ誠我が最重要「歌」なるや妻絶するも笑み飛翔すと

十四 この歌を一大歓喜胸震へ作りし我や新生したり

十五 我世のぞ深みの「底」の飛翔共御友世界の全域まみゆ   (備考:「底」=御友)

十六 これ程ぞ恩師決別明瞭な我が世界歌またと在らざる 

十七 滝沢の哲学世界原事実元にせるやも「深き低み」ぞ

十八 其処に無し「深き低み」の底飛翔彼の世界や深き「現世」

十九 それ故に彼そも知らずルター観し十字架の主地獄落ちたる

二十 若き日に『詩編講義』ぞ耽読す其処に在り「深淵に落つ」   (備考:「地獄落ち」=《sese in profundum humiliare》

二十一 かくあればありありと我知りぬこそ「深き低み」の底我が主

二十二 我妻が前夜式をば終へし夜棺あけて見し口まろき妻
   (備考:2014年3月12日の事なり。口まろき=称名なり)

二十三 生き生きと称名なすの我妻や笑み増しゆたか御友臨在

二十四 滝沢の「深き低み」を底に抜け笑み増す妻と御友飛翔す

二十五 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す   (備考:復唱嬉し)

二十六 我やしもこの歌と共胸震へ一切の底御友共御許飛翔す
   (備考:その時の我が形而上学恩師超ゆるや)

二十七 而してやホ氏主著末尾刻みたる御友哲学共創完成   (備考:”In the fourth phase, the creative action completes itself, For the perfected actuality passes back into the temporal world, and qualifies this world so that each temporal actuality includes it as an immediate fact of relevant experience. For the kingdom of heaven is with us today. The action of the fourth phase is the love of God for the world. It is the particular providence for particular occasions. What is done in the world is transformed into a reality in heaven, and the reality in heaven passes back into the world. By reason of this reciprocal relation, the love in the world passes into the love of heaven, and floods back again into the world.In this sense, God is the great companion—the fellow-sufferer who understands.” [PR, 351])

IXIA!
延原時行 


昨日のぶらり散歩では、ビワとサクランボ、そしてゴブを味見しました。みな初物ばかり! ビワは住宅の敷地の中に植えたもの、サクランボはご近所の公園の大きな桜の樹、ゴブはあるお宅の前の道端で・・・

昨日も見事なサボテンの花が華やいでいました。

終りに、猫とアマリリスなど・・・