延原時行歌集「命輝く」(第2991回)(形而上学神学の展開)

 延原時行歌集「命輝く」(第2991回)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も初めに先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

4月26日
      御国到来祈り神学びの歌八首
      鳥飼先生 4/25, 2018 10:06 PM)
   
一 第二祷「御国到来」主イエスはや祈り給ひし有難きかな
  (備考:『マタイ』6・10、熟読参照)
二 御国げに「神共」ロゴス「太初」にぞ内住なすを到来といふ
  (備考:『ヨハネ』1・1・第二項→第一項:『マタイ』6・10)
三 かく読めばヨハネのロゴス基督論「主の祈り」にぞ溢るるやこそ
四 誠のや「主の祈り」そも御友がぞリハーサルなし「エロイ絶叫」

  (備考;『マタイ』6・10=『ヨハネ』17・5→『マルコ』15・34、熟読参照)
五 我思ふ形而上学神学や聖書に溢るよく注意せば
六 主イエスのや生ける祈りぞ誠にや御父よりの神学びなり
七 然る故祈りの中の「神学び」これぞ最初の神学ぞげに
  (備考:「主の祈りの中の《神学び》」につきては、『ヨハネ』15・15を熟読参照すべし:「わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人がしていることを知らないからである。わたしはあなた方を『友と』呼んだ。《私の父から聞いたこと》を皆、あなたがたに『知らせた』からである。」主の《神学び》をみな自ら「知らされた方」が「御友」なり、弟子たちの正式の名称は「友たち」なり。それを考へれば、恩師がイエスを「縛るもの」(『純粋神人学序説』272頁、熟読参照)と嫌ひたるは、イエスの本質を誤解せしなり。この誤解の故に、彼は、「インマヌエルの原事実」に「向かふ」と書きしなり(同頁)。それ故に、我は、「インマヌエルの原事実」をではなく、その基の「神共」ロゴスを「神内部」のインマヌエル即ち《神ロゴス・インマヌエル》」として再発見し、これを「原受肉」と呼称し、これが滝沢の言ふ「太初」のインマヌエル(即ち、《神人・インマヌエル》)を産みたるをこそ、称へる者なり)
八 専門の神学者なす神学や主の「神学び」息吹きや学べ
IXIA!
延原時行

(* 鳥飼師 4/25,2018 8:37 PM: 「延原先生 今日も「新しい歌」を有難うございます。「御友神学」のさらなる「大発見」! 留まるところがありませんね! 『哲学の喜び』に収まる歌が増えるばかり・・
当方は医療生協の「三つの輪」という機関紙の配布のお役が回ってきて、沢山の組合員さんにお会いし、いい運動にもなりました。このところ、これまで折々話してきた講演草稿を取り出しては、面白い一本にできないか、楽しんでいます。
御礼方々
IXIA!!
鳥飼慶陽」)



昨日のぶらり散歩では、神戸の大震災のあと天皇ご夫妻が見舞われて、美しい水仙を手向けられた場所に立ち寄りました。いまここは「すがはらすいせんこうえん」になっています。

震災の後、山田洋二監督が「男はつらいよ」の最終回となった渥美清とともに、この場所を訪ねてロケ撮影を行いました。その記念のモニュメントが再建された「菅原市場」(「味彩館」)出来て親しまれてきましたが、それも今は建て替えられ、記念のモニュメントはいまこの場所(「すがはらこうえん」)に移設されていました。

昨日は「梅ケ香公園」にも足を延ばして、ここのブドウの古木を確かめてきました。今年も立派なブドウが実ってくれそうです。

終りに今日も猫ちゃんを・・・