延原時行歌集「命輝く」(第2983回)(デジカメの新調)

 延原時行歌集「命輝く」(第2983回)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も初めに先生から届いたメルマガ「風の便り」の「今日の歌」を収めさせていただきます。先生はなかなかのスポーツマン! 高校時代は卓球選手でした! いまや独創的な「延原哲学」で世界で注目を浴びる思想家です。


○(4月13日)滝沢「神表現」不思議の歌五首
      (* 鳥飼先生 4/12, 2018 22:04)

一 元はとは言へば我はや神高生三宮ぶらは懐かしきかな  (備考:神高生=兵庫県立神戸高等学校生徒)
二 卓球部近畿大会勝ち進み表彰状を持ち帰りしも
三 今はこの『哲学喜び』最終章恩師に謝辞を書くや嬉しや
四 「原事実」滝沢純粋神人学批判の末に「神表現」や出づ
  (備考:「純粋に神人学的に考える人間は、したがって、自分自身を一つの存在者として知っている。この存在者は一方では、絶対的に偶然的であり、あらゆる歴史的形態を持った規定から自由であり、他方ではしかし、何よりもまず、そのようなもろもろの規定とは比較にならないほど厳しい、唯一の神の規定、すなわち人間は、まさしくはじめから終りまで、このような偶然的な存在者として自分自身の生涯において生ける神ご自身を表現すべきであるという、唯一の神の規定の下に立っているのである。このようなものとして人間は、たとえ苛酷な歴史的状況にあっても、絶えず希望に満ちている。」滝沢克己『純粋神人学序説』(福岡・創言社、1988年)273頁、参照。「神表現」は此処では、恩師の情熱的なダイナミズムの的として、ホ氏の「創作用」に負けぬ力動示せるなり。これひとえに、恩師最晩年の書簡(1983年7月1日夕付)にてご返事ありたる如く、我の「至誠心の神学」の立場からの「神は空に至誠なり」といふ滝沢の「原事実」(太初のロゴス)批判を提示したるに、「神は宇宙に於いて我々被造者に至誠心を喚起する唯一の御方なり」といふ逆理出でし故なり。この逆理、滝沢の言ふ「神表現」の規定を丁度含意せるものなり)
五 「原事実新現在の産み出し」や我が哲悦ぞ如何に嬉しき  (備考:インマヌエルの「原事実」恩師の救済原理なりしも、そこから我哲悦(即ち、《根源的哲学原理》の喜び)を聴きたり。どうも今も神戸高校の卓球選手の趣き、あるやもしれず。何が何でも、新サーブを考え出し、打って出る気味やあるなり。いと可笑し。失礼)

IXIA! 延原時行」

(* 鳥飼師 4/12, 2018 8:06 PM:「延原先生 今日も有難うございます。名古屋にいた時にはデジカメが故障して、最初に使っていたデジカメを取り出して撮っていましたがレンズの汚れがひどくなり、今日は思い切って新調にすることにして、久しぶりに三宮のセンター街で買い求めてきました。昨年は12月1日に神戸を離れましたので、大震災の後一度も欠かすことのなかったあのルミナリエ知らず、新しく生まれ変わる神戸のまちの「ぶらり歩き」も愉快なものでした。
御礼方々 IXIA!! 鳥飼慶陽」)

デジカメを新調しましたが、カメラからパソコンへつなぐコードがなく、本日午前中に買い求めてきます。本日より新調したカメラで撮った写真を収めるつもりでしたが、残念ながら本日は間に合いませんでした。