延原時行歌集「命輝く」(第2918回)(台風一過――柘榴と猫と鶺鴒)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2918回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    10月24日

          天地響くやの歌二十一首

 一 今年もや雪何時来るか思ひつつNetzトヨタの点検終へぬ
   (備考:21日の事なり)

 二 我二度と車乗ることあらうかと思ひしもこれ妻形見
   (備考:2008年3月末日に敬和学園大学チャプレン兼哲学教授引退せし折、我車はやめて、妻だけ一台とせるも)

 三 我妻や車一心込めてぞや我が一生の仕事助けし  
   (備考:滞米中も帰国後もなり)

 四 それがぞや梯子落下の時にぞや我が手に妻のキーぞ残れる
   (備考:我が家の前庭にて雪囲いの真似事の最中にや)

 五 面白き事もあるもの妻や言ふ「本作る(ゆえ)父さんやって」
   (備考:2014年2月13日のこと、北越病院にて祖父江八紀ドクター「何したい」とのご質問に答えてかく言へり、我が方に振り向きつ。これ、「運転」による内助の功、「本作り」に転換の瞬間なり)

 六 本出せば出費もかさむ故ありてむずかりおりし妻なるにぞや

 七 晩年や英文箴言精進すいのち結晶いざ輝けり

 八 新発田でもリウマチセンター豊浦も我と共にぞ復唱嬉し

 九 夕餉のち必ずやこそ箴言を復唱すぞやコトリ熟睡

 十 或る時や父さん何時も本出すな言ひし我をぞ赦してねとぞ

 十一 かくありて本作りげにいのちのや懸り処ぞ妹背われらの

 十二 生涯の際に汝謝す「最高に仕合わせなり」と「何故」と我訊く

 十三 「皆やって呉れる嬉し」と汝や告ぐこの皆何や箴言対話

 十四 内省の笑み零る妻最後の日まさか絶後の笑み増しまでも 
   (備考:復唱)

 十五 切れ目なき我妻の笑み告ぐるこそ生死一体いのち祝福
   (備考:復唱)

 十六 いのちとは切れ目なき事或る日我深く諭さる我妻笑むや
   (備考:復唱)

 十七 何があり何が無くとも我妻の切れ目なき笑み仕合せ泉
   (備考:復唱)

 十八 汝が笑みや生涯の際溢れてや絶後笑み増す御友いませば
   (備考:復唱)

 十九 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)

 二十 我妻の天に在りてや地の我と二人三脚いのちの証し
   (備考:2014年2月13日の「本作る父さんやって」の遺言以来、我が著作活動書くの如し)

 二十一 これも皆御神様のおぼしめし一筆書けば天地響くや





このたびの超大型の台風は各地に大きな爪痕を残しました。神戸でも強風が吹き荒れて45・9メートルの記録的な強さで通り過ぎていきました。

上の写真は台風一過、昨日朝の景色です。夏の暑さで枯れていた木々は折れて道の転がり、看板なども壊れ、ザクロなども地に落ちていました。中庭の木も横倒しになり・・・・


昨日は一日中、まだ私の手元に置かれている「お宝」―−賀川豊彦の畏友・武内勝所蔵資料ーーを取り出して、賀川から送られてきた120通の書簡に目を通しました。近くある研究者の方が神戸にお越しになるための下準備で・・・

台風の日は何處を探しても顔を見せなかった猫たちは、昨日はいつもの場所で、仲良しを相手にしてお昼寝など、ゆったりと日常を戻していました。

雀と鳩たちのほかに、また元気な鶺鴒が遊んでいました。

台風の襲来のときは夜のぶらり散歩は控えましたが、昨夜はいつものように夕食後のぶらり散歩へ・・・・

我が家では奇麗な三日月が見えていましたが、散歩途中ではあいにく雲がかかって御隠れでした・・・・

暗い中、一匹の猫ちゃんにであいました。そして新湊川添いの公園のひろばでは、砂丘のような美しい風紋が残されていました。

地に落ちた柘榴をうえに収めましたが、夜の散歩でも多くの柘榴が実っている公園に立ち寄りました。ここでもすべての柘榴が落ちてしまい地べたに転がっていました。私たちの住宅にある柘榴は大半が木に残っていました。

終りに、拾い集めた柘榴たちをテーブルに並べたものを収めます。
柘榴はやはり絵になりますね! 久しぶりに柘榴の味も味わいました。