延原時行歌集「命輝く」(第2878回)(猫と夕焼け)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2878回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    9月14日

           夢想楽しむの歌八首

一 我が学の最先端や「原受肉」誰も夢想もせぬ理や

 二 これやこの我が夢想にぞ心寄せ俄然天地の気迫満つるや

 三 ブーバーが言ひし言葉ぞ慕はしや未だ無き事実現や生

 四 かかる想誰も見ざれど我見るや先達に文書きて楽しむ
   (備考:小野寺功先生への御返書9月11日付、以下の如くなり:「拝復 八月十六日付御芳書誠に有り難うございました。心より厚く御礼申し上げます。まだ発想の開陳間もない愚説に御目を向けて頂きまして誠に光栄に存じます。
 その後英文草稿18頁―20頁にさらに手を入れ、少し進展、喜んで居ります。西田の絶対矛盾の自己同一の含意と触れ合うことを確信するに至りました。そして、この含意が二重性を帯びる事が見えて参りました。
(一)絶対矛盾の自己同一と申しました場合、自己同一の自己は「ロゴス」であります。ロゴスは単一的な実体ではなく、「神共」のロゴス(第二項)と「太初」のロゴス(第一項)の合体でありまして、前者が後者に内住(indwell)いたします。それは一切の物の宇宙に於ける相互内住(ホワイトヘッドの言う《mutual immanence》)の源泉であります。此処にダイナミックな天界の神と共なるロゴスの太初(世界の原初)のロゴスとの合体に依る創造作用(Creativity)を発見いたします。
(二)右の意味での「原受肉」は、それが成ると同時にそれの参与者(Partaker(s))が発動いたします。そこに絶対矛盾の自己同一の第二義が産まれます。即ち、全く一般概念を媒介としない「原受肉」と(直接に父からこれを聴き学び、「友よ」と我々を呼び教え給う)御友神学の受肉の「一」であります。
 右の「絶対矛盾の自己同一」の重要性は新しい発見でありまして、今度のペーパーの18頁から20頁に書き入れました。
 そして、Partaking(参与)の形の思想といたしましてもう三十四年も前に発表いたしました論文”Analogia Actionis: A New Proposal for Christology ‘From Below’ “を新しい英文著に容れるため、推敲いたしました(cf.註45)。
 誠に一歩一歩の微々たる歩みの二英文稿推敲であります。お笑いください。「風の便り」八月号、九月号もそれに併せて同封させて頂きたく存じます。ご笑覧下さい。
 変わらぬ御教導を心より御礼申し上げます。
 御健勝を心より御祈り申し上げます。右、御礼方々、草々不一
 2017年9月11日                延原時行拝
小野寺功 先生」)

 五 既知の事確認なすや歴史学汎神論の気味やありけり
   (備考:歴史的神学は具体的事実の検証に携わる点は良きも、具体的事実が如何なる深い形而上学的道理に依ってかく在るかを批判的に鋭く吟味せぬ限り、「現実の一切を神となす」汎神論の傾きから自由にや非ずなり)

 六 されど我無き事夢想喜びぞ汎在神論申すべきぞや
   (備考:我が学は、在るものを①深き底(「原受肉」)に支えられつつ、②その参与者、共同創造者として現象しつつ、③深き底との間に「絶対矛盾の自己同一」すなわち聖霊に《包摂されてある》と観る。この観点が「汎在神論」なるべし)

 七 我が母校歴史学進歩主義標榜なすや夢想欠くるぞ

 八 恐らくや我が英文著好まるる桁外れのや夢想故にぞ
   (備考:好まるるや、英語圏の思索者によりてなり。日ノ本は知らず。日ノ本は、押しなべて、汎神論者なれば。ただし、西田は、「絶対矛盾の自己同一」の思索者なれば、汎神論者に非ず、汎在神論なり。日ノ本における歴史研究、如何に「汎神論」から自由なり得るか、の問の前に立ち居るなり。人々その意識希薄ならずや)



昨日も午前と午後と夕食後の「ぶらり散歩」・・・写真に収めたものは数枚だけ・・・

いつもの猫たちも忘れずに・・・

22年前の震災の時まで家にいた黒猫ピコーー捨てられていた小さな子猫を連れ帰って長く我が家で暮らし、震災の時も一緒に生き残り、絵本『いのちが震えた』の表紙を飾って、避難先で慣れない家を出て行ってしまったピコーーとよく似た黒猫が、近くの公園のベンチの下でじゃれていました。

午後の散歩でも、お昼寝中の猫ちゃんをパチリ・・・

一日、読書三昧・・・フェイスブックでひさしぶりにクラスメイトと言葉を交わしたり・・・

夕陽を眺めながら夕食をいただき、夜のぶらり散歩を・・・

今年も立派に実ったブドウをいただいたご近所の「梅ケ香公園」まで・・・