延原時行歌集「命輝く」(第2855回)(地下鉄で「名谷駅」まで・・・炎天下の草刈り作業)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2855回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    8月22日

          学の道踏むの歌三首

 一 先達に英文稿や有難きコメントぞ受く学の道踏む
   (備考:何時もご教導いただく小野寺功先生に暑中お見舞い、8月9日付、申し上げ、16日付、拙論への有難きコメントの御書状拝受せしなり:
 「暑中御見舞い申し上げます。貧しい論考を御目にかけておりまして誠に申し訳ございません。もう半世紀滝沢哲学を学んで参りましたので、何とか私なりの学習結果を書き上げる事が学恩への礼儀ではないかと思い微力を尽くしております。
 それが、『哲学の喜び』では、〈原事実の「新しい現在」の産み出し〉という私の哲学原理に結実いたして居ります。
 この間、神学の方では、御承知の様に、第十一回国際ホワイトヘッド学会(University of Azores, Ponta Delgada, on the Island of S.Miguel, Portugal, July 25-28, 2017)に於いて一文を講じました。”The Proto-factum Immanuel by Takizawa, My New Idea of the Proto-incarnation, and Whitehead's Notion of God As Being 'in’ the World: Within the Context of Divine Ecozoics toward a Theology of the Great Friend”という長い題のペーパーでございますが、恩師カブ先生はじめ参加者諸氏に絶賛をいただきました。此処では、(一)滝沢の「原事実」(=「太初」のロゴス=第一項)に於いて「神共」ロゴス(ヨハネ1・1第二項)が「原受肉」を成すという提言が有難いことに大方のご賛同をいただきました。そしてその結果は、(二)御友神学が「原受肉」の受容者(ホワイトヘッドの言い方では《Partaker》)として出現する段階(受肉)であります。
 (一)→(二)が哲学の方の《原事実の「新しい現在」の産み出し》のプロセスに相応致します。
 七月二十六日にアゾレスで発表いたしましてから帰国道中空路さらに推敲いたしまして、二十九日の羽田着帰国後三十一日深夜打ち直しました。
 日々の記録は、短歌で綴っております(「風の便り」七月号と八月号)。ペーパーには、最後に、1983年以来滝沢哲学を学びつつ書いて参りました、英文拙稿十二篇と今度の拙文をエピローグとして入れて居ります。新しい英文著の目次も表記いたしました。(ご同封させていただきました通りでございます。)
 「哲学の喜び」では《原事実の「新しい現在」の産み出し》とだけ表記いたしましたプロセスに、「原受肉」とこれを承けるthe Partaker(与るもの=御友と友たち)が対応する事に気づきました。この関連は、先生の御立場では聖霊神学(あらしめられてある)でございましょう。
 滝沢には「原事実」は強調されていますが、「原受肉」とそれに与るプロセス=御友神学は欠如いたして居ります。此処がバルトの納得出来ない恩師の御側面でありました。
 右、御礼方々御報告させていただきたく存じます。不一
  二〇一七年八月九日             延原時行拝
 小野寺 功 先生」
 「拝復 国際ホワイトヘッド学会での御発表は、大きな成果を挙げ、無事帰国、本当に御苦労様でした。英文で二十二頁にわたる長大論文で、御発表も大変だったことと思います。恩師カブ先生をはじめ、多くの参加者の絶賛を博し、何よりでございました。
 私も「西田哲学と滝沢神学」という論文を書いてから、滝沢神学にいま一つ前進がほしいと願っていましたが、今回の御論文によって、そのきっかけが見出されたことを大変嬉しく思います。
 滝沢の太初のロゴス第一項に対して、第二項が「原受肉」を成すという洞察が、大方の賛同を得たということですが、確かにこれはヨハネ伝の真意をとらえた洞察と思います。私はホワイトヘッドはあまり知りませんので、私なりの解釈ですが、永年の疑念が釈然と致しました。
 これが確かだとすると、カブ先生が指摘するように、滝沢とバルトの対立が超えられ、「御友神学」の道が開けると同時に、私の聖霊神学とのつながりも出て参ります。
 御論文を一読したのみで一知半解の感想ですが、延原神学の歩みを正確に跡づけてみようと思います。よろしく御指導下さい。
 「京都学派の歴史哲学」と取り組んでいますが、これを批判的に乗りこえる道は、容易ではありません。自分の歴史哲学の形成は、大学院の頃、アウグスチヌスの「神の国」で卒論を書いて以来の悲願です。
 では、とりあえず、御論文の御礼のみ申し上げます。
  八月十六日              小野寺 功
 延原時行様」)

 二 踏みゆけば香しやこそ学びてや語る我が今げにも嬉しや

 三 先達の聖霊神学あらしむる道こそげにもあるの道なり




神戸は昨日も雨はなく炎天下、市営住宅の広い庭の草刈り作業が続けられました。ちょっと失礼ですが、作業をしておられる方々を、11階から覗いてみました。若き日の学生労働ゼミナールの体験や素っ裸になって雑役労働に打ち込んだゴム工場のロール場を思い起こして・・・1980年代に神戸で「労働者協同組合」(ワーカーズコープ)の実験を開始して、公園の清掃管理などを受託して「仕事づくり」を進めてきました・・・・ご苦労さんです!!

昨日も午前はぶらり散歩を兼ねて市場まで・・・そして自転車に乗って地下鉄長田駅へ、電車に乗って名谷駅へ、故障をしていたエアコンのリモコンを受け取って・・・昨日の写真は、これだけです。