延原時行歌集「命輝く」(第2846回)(花々と木々、そして運河)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2846回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    8月13日

            即人光の歌八首

 一 初めてやヨハネ一・四我覚る「命」やありて「人光」出づ

 二 我や知る〈原受肉〉をぞ成すものや「神共」ロゴス「太初」にてぞや

 三 一切の主体成すはや「神共」のロゴスまします場や原事実

 四 此処に成る〈原受肉〉こそ命なり「神共」ロゴス「太初」の場にや

 五 この命成りてこそなれ万象や「今に」産まれつ人光あり

 六 人光今ある歓喜ほかならず命成りたるその証しなり

 七 ホ氏や言ふ創過程こそ命なれ命なるはや即人光
   (備考;”In so far as man partakes of this creative process does he partake of the divine, of God, and that participation is his immortality, reducing the question of whether his individuality survives death of the body to the estate of an irrelevancy. His true destiny as co-creator in the universe is his dignity and his grandeur.” [Dialogues of ANW, 366] 『ヨハネ』1・4:「この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。」)

 八 原事実産み出すものや「新現在」哲学のぞや喜びこれぞ
 (備考:ヨハネでは「哲学」をぞや「人光」とす。そこに歓喜あり。拙著『哲学の喜びーーチェンジの時代に、根底を省察する滝沢語録を読む。』は此処を掘るなり。我が英文著『Christology, Buddhist-Christian Dialogue, and Divine Ecozoics: Three Theological Adventures in Process Perspective』は命の発見を「原受肉」に於いてなし、人光の了解を「御友」の「友よ」との呼びかけに応えてなす述作なり。両々照応す)




酷暑のさなか、突然エアコンのリモコンが故障!

スハ一大事! さっそくチャリンコに乗って、兵庫運河をこえて、サッカー場の近くにある大型電気店へ・・・何とか間に合わせのものを買い求めてきました。

夜は来客があり、ちょうど頂き物の美酒を交わし・・・夜のぶらり散歩はお休み・・・