延原時行歌集「命輝く」(第2811回)(香川「豊島」と徳島「鳴門」の小旅行ー第四回「鳴門・田渕豊さん宅」)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2811回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    7月9日

          恵み深しやの歌十首

 一 御神や原事実にや原受肉御友父より聴きてぞ「友よ」
   (備考:『ヨハネ』15・15、熟読参照)

 二 この御告げ「何ぞ我」との絶叫の内にて語る恵み深しや
   (備考:『マルコ』15・34、熟読参照)

 三 御友はや神愛告ぐる逆説を「何ぞ」と叫び証示さるるや

 四 原受肉ある故にこそ御父よ見捨て給ふな《我》民をぞや
   (備考:『詩編』22・30-31、熟読参照:「子々孫々、主に仕え、人々は主のことを来たるべき世まで語り伝え、主がなされたその救いを後に生まれる民にのべ伝えるでしょう。」その救い=原受肉なり)

 五 原受肉なくば我が主の「何ぞ我」叫びて飛翔なさる故なし

 六 十字架の地獄落ちこそ尊けれ「何ぞ」と叫び底ぞ飛翔す

 七 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)

 八 満々と原受肉をぞ湛へたる底ぞ遂にや御許目差して

 九 我妻の絶後笑み増し示せるや御許に飛翔嬉し嬉しや

 十 汝が笑みや生涯の際溢れてや絶後笑み増す御友いませば
   (備考:復唱)




今朝から一斉にセミたちの大合唱がはじまりました。

上の写真は、昨日の私たちの花壇とまちの「七夕まつり」、そして若者の来客で戴いた美味しいケーキです。

昨日は昼間も来客があったり、ある組織の「ネット会議」を楽しんだり・・・

さて本日も<賀川「豊島」と徳島の「鳴門」の小旅行>の連載で第四回「鳴門・田渕豊さん宅」を記録しておきます。

7月3日朝、新神戸を出発して岡山経由、マリンライナーに乗って高松駅へ。そこで鳴門の田渕さんたち4名と合流して高速船に乗り「豊島」の家浦港へ・・

そして前回は「豊島農民福音学校」の藤崎盛清さん御夫妻などの大歓迎をお受けして、心身ともに大満腹! 豊島を後にしたところまでをUPしました。

高松港からは5人、田渕さんの運転で鳴門までおよそ1時間、夕刻には鳴門に戻ってきました。

実はこの日の夜は、田渕豊さんご夫妻のきもいりで、この春まで鳴門市賀川豊彦記念館の館長をつとめられた田辺健二先生の感謝慰労会が準備されていました。

この連載の第一回「田渕豊さんのこと」でも、徳島における賀川豊彦記念館の設立にかかわられた田渕・田辺両氏の親密な交流と足跡に触れましたが、お二人は長い準備期間を経て、2002年の記念館の開館にこぎつけ、以後、田辺先生は館長の重責を担い、地元鳴門から時代の課題を世界に発信する大きな役割を果たしてこられました。

この夜は、田辺健二先生を中心に田渕夫妻、地元長谷寺(ちょうこくじ)の住職・熊谷祐信さん、徳島映画センターの四宮洋右さん、市民劇場の藤田進さん、そして外国人の人権などご研究の憲法学者・萩野芳夫先生とわたしの8人で・・・びっくりする御馳走と「獺祭」という美酒(わたしは初耳の銘酒)にも魅せられて・・・ここでも時間を忘れて、実のある語らいが・・・。



(つづく)