延原時行歌集「命輝く」(第2810回)(賀川の「豊島」と徳島の「鳴門」の小旅行―第三回「豊島農民福音学校」)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。
7月8日
我妻凄しの歌十四首
一 此度のや「原受肉」論かつてのやGod is silently “with us”書きし再考
(備考:拙稿”Reflections on God Who Is ‘With’ All Creation: Phases of Mysticism in D.T. Suzuki’s Zen Thought and Whitehead’s Metaphysics,” Process Studies, 34/2, Fall-Winter 2005, pp. 240-263.もう十二年前の作なるも、それ在る故に今の新論書かんとするや)
二 十二年思索導く勘所かつてや無音今受肉神
三 勘所のぞ無くしてや哲学論文書かんとはせじ
四 書きてこそ欧米にてや友の声聴くや嬉しや新世界
五 独りでや舟漕ぎ出して大海に出でし我哉友多し
(備考:右の英文稿殊に多くの友大海に見出しぬ)
六 今我や「のぞみ」車中にかく思ふ「原受肉」をぞまたや漕ぎつつ
七 川西の市役所にてや謄本を取得なせるやこれで良しとや
八 月曜に新発田市役所尋ねてや新パスポート見むとは嬉し
(備考:ボルトがルにて”On the Proto-incarnation”論ずるやよし。パスポート切れたるを知る我いと可笑しも。再発行の為には本籍地川西まですっ飛んでゆく今日の我なり)
九 かつて我川西よりぞ飛び立ちて十五年もや米欧にあり
十 西もぞや東も知らぬこの愚者やAARに西田学はじむ
(備考:AAR=米国宗教学会にあろうことか、Seminar on “Process Thought, the Nishida School of Buddhist Philosophy in Comparative Perspective”(1985-1991)設立し、Prof. Francis H. Cookと共に共同座長七年間務めたり)
十一 帰国後や敬和勤務や十七年チャプレン職と哲学熱中
十二 最高に仕合わせなりき妻や述ぶ絶後笑み増し御友いませば
十三 「本作る父さんやって」今もぞや意気軒昂や我妻凄し
(備考:天上天下二人三脚多忙なり)
十四 何時の日か御国に往きて父の許御友と回顧呵々大笑ぞ
十五 やがてぞや英文大著上梓なり「父さんやった!」破顔一笑
昨日は七夕でした。上は、昨夕のぶらり散歩のものです。
今年はじめてのセミの声を耳にしました。
さらに「百日紅の花」も・・
そして久しぶりにヒヨドリの姿も・・・
蝶と猫も花たちも・・・
ところで、7月3日から4日にかけて<賀川の「豊島」と徳島の「鳴門」の小旅行>のメモをUPしていますが、今回は第三回で「豊島農民福音学校」です。
高松港から高速船に乗って直島経由で約1時間、家浦港に到着。田渕さんら私たち一行の5人は、出迎えていただいた稲子恵さん(地域おこし協力隊として田渕さんとも交流のある方)らの自動車で島をドライブ・・・お目当ての「豊島農民福音学校」を受け継いでおられる藤崎盛清さんらご家族の場所へ・・・
眼下に瀬戸内の小豆島を望む絶景で、いまも美しいウグイスの声が聞こえてきます・・・
先日もNHKテレビ(2017年6月10日「瀬戸の桃源郷―青々とー香川県・豊島」)でここの農民福音学校の放映がありましたが、戦後すぐに藤崎盛一夫妻がこの地に住み「豊島農民福音学校」を開校した場所です。
戦前は賀川豊彦が結核療養所を開設して執筆活動にも打ち込んだところとしても知られています。
もともと農民福音学校は1927(昭和2)年に賀川豊彦と杉山元治郎の自宅のあった兵庫県武庫郡瓦木村ではじまったものですが、藤崎盛一さんは1932(昭和7)年に東京北多摩に入植し翌年「武蔵野農民福音学校」を開校、1938(昭和13)年には「農村文化研究所」などの設立を行い、上記の通り戦後すぐ豊島の人となり、1977(昭和52)年まで30回近くも毎年ここで農民福音学校を開いて農民教育に打ち込んでこられました。
この度はなんと特別に、藤崎盛清・令子ご夫妻をはじめ盛一さんの三女・児島道子さん、そして藤崎光子さんの御心づくしの御馳走――大きな窯で焼かれたビザとパンと美味しいジャム、そして新鮮な野菜やスモモなどなどーーをいただきながら、田渕さんのシベリヤの黒パンのお話も交えて、和やかな語らいを楽しませていただきました。(お名前は正確でないかもしれません。間違っていたらごめんなさい。)
私の恩師・鎌谷幸一・清子夫妻のことや『肉眼でみる星の研究』で知られる吉田源治郎牧師のことなど、つきないお話で時を忘れるほどでした。
長時間の愛餐の時の後、藤崎盛一さんの記念館へ・・・
ミレーの絵に惚れこまれた藤崎さんの書斎など・・・
お別れの前に、農民福音学校50周年記念碑の前で、みんなで記念写真を・・・
前後してしまいましたが、下の写真は今回見せていただいた藤崎盛一さんの写真です。
賀川豊彦と撮られた写真と共に。
(つづく)