延原時行歌集「命輝く」(第2808回)(香川の「豊島」と徳島の「鳴門」の小旅行―第一回「田渕豊さん」)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2808回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    7月6日

            勇躍一心の歌十四首

 一 原受肉華やがしめよ御子祈る底飛翔すや御父みこころ
   (備考:『マルコ』15・34=『ヨハネ』17・5;原受肉=底の底)

 二 知るべしや底原受肉祈る方我らも共に飛翔御父に

 三 いのちのや変貌三相この歌や含みて詠ふ誠嬉しや

 四 一相や原受肉ぞや底の底されど飛翔す祈る主と共

 五 二相はや祈る御友ぞイエス君底承けてこそ「友よ」と語る

 六 三相や父に一切聴きてぞや還帰一筋御友我らと

 七 人もしもいのち変貌三相を窮むればこそ勇躍一心

 八 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)

 九 この世にぞ悲嘆にくれし人方よいのち変貌只中を往け

 十 汝が笑みや生涯の際溢れてや絶後いや増す御友いませば
   (備考:復唱)

 十一 絶後にぞ底の底にや下れるも原受肉受く御友現臨

 十二 ルターがや[深淵にまで遜る]言ひし我が主や我が友なるや
   (備考:「深淵にまで 遜る」《sese in profundum humiliare》 in:マルティン・ルタ―『詩編講義』参照)

 十三 今日の日も基教和讃を詠ふ我原受肉受く御友嬉しや

 十四 恩師はや「原決定の原生起」言ひたるも何故御友詠はぬ




昨日は兵庫県立美術館で開催中の「ベルギー奇想の系譜展ーボスからマグリットヤン・ファーブルまで」(7月9日迄)を観てきました。ブリューゲルの作品など120点の絵画・版画・彫刻など珍しいFantastic Art in Belgiumを・・・。

下は、昨夕のぶらり散歩・・・

ところで、先日7月3日・4日の二日間「賀川の「豊島」と徳島の「鳴門」の小旅行」を楽しませてもらいましたので、本日よりその時の愉快な交わりの記録を少々綴っておくことにいたします。

その第一回では、お声をかけていただいた鳴門市在住の田渕豊さんとの出合いのことから・・・。

それはもう30年近く前のことですが、当時田渕さんは鳴門市の市会議員をされていて部落問題の解決のためにの努力されていて、私は神戸の部落問題研究所で仕事をしていました。

1988年は「賀川豊彦生誕百年」の年でしたが、丁度その時『賀川豊彦と現代』を書き下ろしたこともあって、田渕さんから地元の「堀江町公民館」で賀川豊彦のお話をしないかとのお誘いがあって、1988年9月24日に初めてお邪魔させていただきました。

この公民館には、賀川豊彦の書がふたつー下座奉仕:純潔平和ー掲げられていて、この夜お話の後に、上の写真に撮らせて頂いていました。

当日、この会場に足を運んでおられた鳴門教育大学の田辺健二先生から、「徳島にはモラエス記念館はあるのに賀川記念館がまだできていないのでぜひ記念館をつくりたい」というお声をお聞きしました。それは田渕さんの願いでもあったことから、何とその夢は1996年5月に「賀川豊彦鳴門記念館設立を目指す会」が発足し、6年間の歳月を経て「鳴門市賀川豊彦記念館」が見事に完成したのでした。

次の写真は、今回映したもので。

田渕さんは若き日には絵本をつくられたり、奥様と共に幅広い市民運動にかかわってこられた方ですが、大分前(正確な年月を忘れましたが)に「阿波のまほろばーこころ交響の郷」「阿波のまほろば散策ガイド」、そして歌「ふるさと阿波のまほろば」の作詞(作曲は新川清)もされています。

1988年の初めて訪問させて頂いた折には、阿波農民福音学校の船本宇太郎さんの「牧舎」や賀川家の墓地と賀川豊彦のお墓にも案内していただきました。30年前の田渕さん(左)とボク。

鳴門市の賀川記念館が完成した後は何度か記念館にもおたずねし、田渕さんのお宅にもお招きをいただきました。

田渕豊さんはいま、地消地産で全粒粉のパンを!と呼びかけ「K2&S黒パン工房」をつくり、その地道な取り組みは新聞や雑誌などで取り上げられています。

上はOVER FIFTY ゼロ・ゴ・ゼロ『050』2010年11月号の見開きの記事の半分です。

第一回のメモ書きは、ここで止めてきます。第二回は賀川「豊島」訪問です。