延原時行歌集「命輝く」(第2794回)(サボテンの花・六輪)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2794回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    6月20日

           底と飛翔すの歌十首

 一 我やしも原受肉にぞ惹かれしは世やいかにあれ神愛我に

 二 原事実そも偶有の只中に神愛溢る御旨なさむと
   (備考:これいのち変貌第一相なり。神愛=原受肉

 三 さらにぞやこの御旨をぞ父よりぞ聴きて御友や「友よ」と告ぐや
   (備考:『ヨハネ』15・15、熟読参照。これいのち変貌第二相、御友神学なり)

 四 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)

 五 十字架に御友「何ぞ」と叫びしも陰府下りてや「底と」飛翔す
   (備考:これいのち変貌第三相、終末論の成立なり)

 六 人知るや「底ぞ飛翔」は原受肉十字架の主や「底と」飛翔す
   (備考:「底ぞ飛翔」は、J.、モルトマンの言葉では、Das Kommen Gottes [神の到来]なり。厳密に考へるならば、この「神到来」、原受肉の御父への帰還なり、翻りなり。この点、イエスの言ひし「神の国」、我の言ふ「原受肉」なるも、此処で言ふ「神到来」は、一切の御友運べる御父への帰還として、御友運びて御父による「受容」なり。これホワイトヘッドの言ふ、神の帰結的本性にして、一切の客体的不死性なり:”We perish ‘and’ are immortal.” [PR, 351, 82])

 七 我妻や思ひ出なべて御父へと棺焼くる越え奉献と言ふ
   (備考:これ、我妻信子の根本信条なり。この信条恩師の「原事実論」にはあるなし)

 八 帰天をば原受肉のぞ飛翔とぞ我や言ひけり御友共にや

 九 これをしも「と飛翔」とぞ呼称為す原受肉とや御友共なり

 十 かくてこそ御友神学終りまで使命貫徹誠麗し
   (備考:これをしも終末論的御友神学と呼ばむか。「父より聴きてなべて(原受肉真理)を「友よ」と告知為す」や御友神学の含意なるも、終末論の場にては、御友の「友よ」との告知我ら父の家にて聴かむ、嬉し嬉しも)




昨日はまた、新しいサボテンの美しい花が六輪、咲いていました。

一日だけ咲いて散る、このサボテンの花は、特別に華やいで、輝きます。

昨日は、一昨日の告別式の折の写真を印刷して、関係者の皆さんへ、お便りを認めて、お送りしました。

神学生の時の夏期実習でお世話になったころは、中学生や高校生、そして大学生や青年たちが、あの小さな家の教会に群れていましたが、60年近い時を重ねて、その若者たちがまた、恩師の帰天の時に、寄せ集められました。幸いな深い不思議を憶えさせられました。

昨日も午前と午後と、そして夕食の後のぶらり散歩を楽しみました。