延原時行歌集「命輝く」(第2793回)(恩人の告別式に)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2793回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    6月19日

       インマヌエル内在嬉しもの歌十二首

 一 学術もいのちも一歩一歩なり一度に全部見へはせぬ哉

 二 今日の日や恩師哲学窮境やよくや見へたり有難き哉
   (備考:18日の「諸説吟味の歌」にてなり。これ、17日記す)

 三 「原事実」「イエス問題」いかにぞや二項対立なせるかや見ゆ
   (備考:この二項対立滝沢純粋神人学の窮境なり。ここに恩師の恩師カール・バルトとの危機ありたり)

 四 原受肉原事実にぞ結実し「神共」恩寵溢れける哉
   (備考:我が「原受肉」論、恩師の窮境、バルトとの危機の解法なり)

 五 かくてはや御友父より秘義聴きてなべて「友よ」と告知ありけり
   (備考:秘義=原受肉なり。『ヨハネ』15・15、熟読参照:我が御友神学の見地、滝沢の「イエス問題」の解決なり。ヨハネ福音書3・16の記すキリスト教信仰の第一相なる「原受肉」を秘義として、父より聴きたる御友神学、第二相として顕るなり。ここに滝沢の「イエス問題」超えたる見地あり)

 六 神内部「神共ロゴス」「太初」にや原受肉成す驚くべきも
   (備考:原受肉は、あくまでも神内部の冒険、変貌にして、創造の初めにおける生起なり)

 七 かくてこそインマヌエルの原義そも太初のロゴス性(さが)と成すなり
   (備考:重要なるは、原受肉なしには、太初のロゴスの性(さが)「インマヌエル」なることあり得ざるなり。従ひて、恩師の「インマヌエルの原事実」たるや、原受肉の成果なり)

 八 この故に「インマヌエル」の尊き名この世深くや内在したまふ
   (備考:而してこれこそ『ヨハネ』3・16冒頭の言ふ「神の世への愛」なり)

 九 これをこそ西田と共に内在的超越とぞや呼称すべきか

 十 主イエスはや内在的の超越の「神の国」のぞ到来を告ぐ
   (備考:『マルコ』1・14-15、熟読参照。ここに滝沢における「原事実」と「イエス問題」との対立あるなし。それ、原受肉=神の国の到来、「原事実」孕みたる故にして、その事をイエス告知するところにイエスの「友よ」との宣教、我言ふ「御友神学」成立せし故なり。一に懸かって、「原事実」と「イエス」の滝沢における〈対立〉の解消たるや、「原事実」に我言ふ「原受肉」内在成す故なり)

 十一 かくて我「インマヌエルの内在」や和讃に詠ひ喜びけるや

 十二 あな嬉しインマヌエルの内在や「原受肉」ぞや嬉し嬉しも





昨日は滋賀県野洲市小篠原の近江平安教会で執り行われた梅村清司さんの告別式に参列してきました。野洲駅から徒歩10分余りのところの野洲小学校の近くにある教会です。

1964年4月から2年間、最初の任地が近江八幡の「仁保教会」と野洲の「野洲伝道所」でした。私たちはその後神戸に移りましたが、「仁保」と「野洲」が合併して、ここに「近江平安教会」が誕生しました。

私は神学生3回生の時の夏期実習で、当時高橋虔教授の強い勧めで、安藤斎次牧師のおられた仁保教会に派遣されました。ところがそのとき安藤牧師が急逝され、請われるままに私はこの教会に住み込んで教会の働きに加わりながら、ここで修士論文を仕上げました。またここで新婚時代の2年間も過ごしました。

あわせてほぼ6年間、教会役員の梅村清司・一子ご夫妻には、言い尽くせないお世話になりました。(この当時の記録は、この前のブログで賀川記念館のHPの「鳥飼の部屋」に詳しく掲載しました。)

先年、梅村一子さんが、そしてこのたび清司さんが91年の天寿をまっとうされて、祝福のうちに天に召されました。

この日は、ご親族と教会関係者がつどわれて、谷本一広牧師の司式のもと、厳かに告別式が執り行われました。

谷本一広牧師夫妻は、この地にあって尊いお働きを長期にわたって継続しておられ、ご体調を崩されながらも、奥様の御支えでリハビリを重ねられ見事にご快復、告別の説教も感銘深いものでした。

告別式を終えられて、牧師夫妻とのお別れの御挨拶の時、再会を約して御夫妻の写真を撮らせてもらいました。益々のご活躍を期待しつつ、感謝を込めて、ここにUPさせていただきます。