延原時行歌集「命輝く」(第2786回)(神戸・垂水の「海(かい)神社」とレバンテ3番館)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2786回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    6月12日

           イマヌエルげにの歌十首

 一 原受肉如何に詠へど尽きざるや尚も称へむ原受肉げに

 二 恩師がやインマヌエルの原事実言ひし底にやまだ底これぞ
   (備考:これぞ=インマヌエルの原受肉、なり)

 三 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱。この歌我が最上の和讃伝道と感ず。妻の底の底よりの飛翔、甦り詠へり)

 四 底の底溢れけるかなイマヌエル遂にや飛翔御父御許に

 五 かくてこそ御国や広し無辺かな何処往くともイマヌエルげに

 六 イマヌエル原義「神共ロゴス」そも即太初なり太初のみ無し
   (備考:「即太初」=原受肉;太初のみ無し=「原事実のみ」無し、なり)

 七 恩師言ふインマヌエルの原事実即原受肉原事実底

 八 いや果てに言ふべき事やこれなるやインマヌエルぞ原事実孕む
   (備考:この場合、インマヌエル=『ヨハネ』1・1・第二項、而して原事実=第一項なり。第一項が第二項を孕めるや、キリスト教福音の新しき真理と我悟りたり。恩師の如く、インマヌエルの「原事実のみ」述べる見地は、福音を述べるものに非ず。何となれば、福音は、イエスによれば、神の御国の到来(『マルコ』1・14-15)、なればなり。到来せざる、而して我らが人として「(それに)向かう」だけの太初のロゴスたるや、インマヌエルの溢れ無し。ただインマヌエルの「概念」なり。)

  九 何がどう如何にあるやも原受肉神到来を示す嬉しや

  十 その事がその事として示す事それ在りてこそいのち力動
   (備考:即ち、我らが「近づかねば」無い如き対象や、主体に非ず。対象としてや、絶対的偶有も、その中に神溢れ給はずや、これ活けるイマヌエルに非ず、ただの観念なり)
  




昨日は山陽電車に乗って「垂水(たるみ)駅」まで。

ここは「JR垂水駅」と同じ場所で、浜側すぐのところに、上の写真の「海(かい)神社」があります。

そして駅の山側を東にぶらり歩くと「福田川」にでます。瀬戸内もすぐです。

22年前のあの大震災の時には、この近くの「滝の茶屋駅」から徒歩10分足らずのところにある市営住宅が「避難仮設」になって、現在の住宅が再建されるまでの数年間、快適に過ごさせてもらった懐かしい場所で・・。

この日は、駅前のレバンテ3番館で神戸人権交流協議会の「民主企業組合第8回定期総会」があり、「来賓」として・・・。

半世紀近い歴史を刻んできた中小企業の業者さんたちの定期総会で・・・

6年間にわたって交流・支援を重ねてきた「東日本大震災」の特別報告などもあって、お食事も囲んで懇親を・・・・

終りに、夕方の散歩で・・・・