延原時行歌集「命輝く」(第2785回)(アンズとカラスと猫ちゃんと)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2785回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    6月11日

          原受肉和讃つれづれ十八首

 一 主イエスのや告知明らか信ぜよや神の御国はいざ近づきぬ
   (備考:『マルコ』1・14-15、熟読参照:我の発見せし「原受肉」、イエス神の国」と呼称さる。重要なるは、「近づきぬ」なり。即ち、「神共ロゴス」(『ヨハネ』1・1・第二項)や「太初」(第一項)に溢れ来れり、との事なり。イエスによれば、「福音」とはこの事なり。つまり、福音とは、受肉だけで成り立たず、原受肉を御友(受肉)が承けて、告げることなり。かく考へれば、キリスト教福音の全貌、解釈大幅に変貌す。普通の福音解釈は、受肉のみなり、カール・バルトの「神の御子の従順」(der Gehorsam des Sohnes Gottes)の如し)

 二 野の花を見よや御神装ひます原受肉こそ華やぎてあり
   (備考:『マタイ』6・29-30、熟読参照:芭蕉俳諧、福音の響きあり「よく見れば薺花咲く垣根かな」。福音は、エコロジーの源泉、我言う“Divine Ecozoics”なり)

 三 御父より聴きてなべてぞ「友よ」告ぐ原受肉のや輝きや燦
   (備考:『ヨハネ』15・15、熟読参照:福音、御友神学、即ち、御友の神学びに結実せるや、これ重大事なり)

 四 御父の至誠を見るや御友さま汝らもまた至誠なれ告ぐ
   (備考:『マタイ』5・48、熟読参照:御友の命法、「御父の至誠」(原受肉)に基づけり)

 五 御父の至誠や成るや原受肉汝至誠なれ御友命法
   (備考:ここにも原受肉と御友道(受肉)の相即あり。相即福音の全貌なり)

 六 我や知る御友神学これなるや原受肉見て至誠なれ告ぐ
   (備考:「見て告ぐ」に御友の神秘あり。この世の底を見、この世に(この福音)を告ぐるなり)

 七 イエスにて生起せる事原受肉「見る」から「告ぐる」いのち冒険

 八 いのちのや変貌一や「神共」ぞ原受肉満ち世愛し給ふ
   (備考:『ヨハネ』3・16、熟読参照:”For ①God so loved the world ②that he gave his only Son, ③so that everyone who believes in him may not perish but may have eternal life.”注意すべきはこれなり、即ち、福音は、「神共ロゴス」の「この世の太初」への内在即愛なり。これいのち変貌の第一相なり。ヨハネ三の十六、第一相は、原受肉なれば、受肉の神学から見れば、「無」内容なり。その事深き真理なり)

 九 いのちのや変貌二何原受肉神の御国の到来主告ぐ
   (備考:『マルコ』1・14-15、熟読参照:受肉論は告知の真理性に浸潤されたるなり)

 十 いのちのや変貌三とは「何ぞ我」御友叫びて原栄(もとさかえ)燦
   (備考:『ヨハネ』17・5、熟読参照:「父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい。」この祈り、主の祈りの原典なり。この祈りを主は十字架上にて「絶叫」なせり。かくて、父により輝かされ給ひし。復活なり。誠燦なり)

 十一 いのちのや三変貌を見ざるなら「イエス縛る」と憂ふ声あり 
   (備考:「それに対して、《純粋》な神人学は偶然的・一回的に与えられたナザレのイエスもしくは聖書という形態に助けられ導かれはするが、しかし束縛されはしない。」滝沢克己『純粋神人学序説』福岡・創言社、1988年、272頁、参照)

 十二 かかる声滝沢典型なる如く原事実にぞ向はむとすや
   (備考:「むしろ、生ける道標としてのこの形態に導かれて、もっぱら道、真理、太初のロゴスに向かうのであり、バルトと共にいうならインマヌエルの原事実に、永遠に新たな、絶対的に不可分・不可同・不可逆な神と人間の関係に向かうのである。したがって、神人学はその本来の内容として特殊的・史的な形態を内に持つことはできないし、ゆるされないし、また持とうとはしない。それは神人学が通俗の意味で「抽象的普遍的」に思弁するからなのではない。全く逆である。神人学があの絶対的に偶有的な、ただ生ける神ご自身によって神ご自身の自由な表現点として規定された人間存在に、かたく結びついているからなのであって、この規定された人間存在を離れては、いかなる特殊的、具体的にして史的な形態も、この世界には現実として存在できないのである。」同上、参照)

 十三 さりながらインマヌエルの原事実絶対対象偶有なるか

 十四 いのちのや解放歓喜そこになし原事実にぞ神溢れなば

 十五 原事実神溢るこそ原受肉「神共ロゴス」「太初」内在

 十六 滝沢が原事実にぞ向かはむとする前にぞや原受肉あり

 十七 神の国近づき来る福音とイエス告げたり己に非ず
   (備考:そもそも「到来する御国」と「告げるイエス」とを混同せる処にこそ、イエスに束縛されることへの嫌悪を(滝沢が)抱きたる所以のものありたり。原受肉を原事実が孕みてあることを見よ!)

 十八 原受肉原事実にぞ溢れ来る見よとのみ主は言ひけるや





上は「さんさん花壇」と「すいせん公園」のアンズとスズメです。

昨日は来客があって、見事なケーキを持参され・・・食後のデザートに・・・写真で残したかったのですが、半分口の中に入った後のまつり・・・

本日の写真は、ご近所の大きなクスノキに立派な巣をつくり、元気に巣立っていった二羽のカラスが、のんびりと遊んでいたので、親のカラスと共に数枚を並べます。

終りに、お昼寝中の「猫チヤン」を・・・