延原時行歌集「命輝く」(第2764回)(花壇にたっぷりと水やり)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2764回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    5月19日

           華やぎの日の歌十八首

 一 我にとり原受肉のや光ほど眩きまでの感動ぞなし

 二 これを我いのち変貌一と言ふ「神共ロゴス」「太初」孕める
   (備考:恩師滝沢の言ふ「インマヌエルの原事実」正確には、「インマヌエルの原事実孕める原受肉」なり。何となれば、『ヨハネ』1・1・第二項「ロゴス神と共なりき」(pros ton theon)こそ「インマヌエルの原義」にして、これ、内三位一体的変貌なる第二項の第一項「太初のロゴス」への内在によりてこそ、「いのちの源」成り立つを得しめられたる故なり。「いのちの源」を恩師「原事実」と言ふも、原事実のみにてや「いのち」成り立たず。「絶対の偶有性」と滝沢言ふも、偶有性の真っ只中に「共なる命を慮る目的性」なくば、そもそも「いのち」あるなし。ここに、私見によるならば、哲学的に言って、《原事実の「新しき現在」の絶えざる産み出し》こそ哲学原理なり。神学的には、これを、《御友神学》とは言ふべし。その意義や、「いのちの変貌一」を父より聴きて、なべてを「友よ」と我らに告ぐるところに在るなり。これ「いのちの変貌二」なり。いや果てに、御友我らを御父に運び給ふこと、而して「永久のいのち」を賜ふこと、これ「いのちの変貌三」なり。「いのちの変貌一」を「いのちの変貌三」に媒介するもの、御友神学(御友の神学び)/御友道なり、即ち「いのちの変貌二」なり。有名なカール・バルトの「御子の従順:der Gehorsam des Sohnes Gottes」を基軸とせる「和解論」、この受肉の媒介性を十分窮めるに至らざる点、我惜しむなり。それ故に、これ、恩師が「イエスの束縛」を感じて「インマヌエルの原事実」で以て反撃せるも、道理なり。然れども、彼の言ふ「インマヌエルの原事実」、右に論ぜし如く、「インマヌエル(pros ton theon)の原受肉」を孕みたる事理明らかにせざる点、不十分なり。ただに偶有的(kontingent)にして、目的的(purposeful)にして終末論的(eschatological)なる有意義性を欠損したる点、修正すべきなり。修正は、受肉(いのちの変貌二)の、原受肉(いのちの変貌一)と復活永生(いのちの変貌三)との絆を闡明する点に於いて、関係的なり。単に受肉論内にて成しおおせることに非ず。このこと、バルトの「和解論」に依拠する既成神学の大改革を意味するなり)

 三 その注入なき大地なぞ想像をなすも難しやあるまじき事
   (備考:従ひて、我何度も言ふ如く、芭蕉俳諧、ことに、よく見れば薺花咲く垣根かな、の一句を理解為すこと、肝要なり。私見によれば、「よく見れば」とは、「原受肉をよく窮むれば」との事なり)

 四 イマヌエル原受肉のやありてこそ御許戻る日我が大車(おおぐるま)
   (備考:これ、我が大乗基督教の秘儀なり)

 五 これを我いのち変貌三と呼ぶ御友神学御許運びて

 六 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱。この歌に我妻の笑み増しに教へられし真理盛りたり、嬉し嬉しや)

 七 原受肉秘義深々と父に聴き「友よ」と告ぐる御友尊

 八 これを我いのち変貌二とぞ呼ぶ一と三をぞ結ぶ絆よ

 九 バルトがや「御子従順」と呼びしもの絆なす事げにも尊し

 十 御友はや「原栄(もとさかえ)をぞ華やがせ」御父に祈り甦ります
   (備考:『ヨハネ』17・5、熟読参照)

 十一 その時にゃ原栄(もとさかえ)はや華やぎて御子我ら「共」甦らさる

 十二 原栄(もとさかえ)華やぐ時の様をぞやホ氏や描くや冒険哲学
   (備考:ホ氏の冒険哲学以下の如くなり:”In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention.” [AI, 295])

 十三 いのちがや変貌三相ありてこそ成り立つ妙味次著で窮めん
   (備考:『いのちの変貌と御友神学――ドストエフスキーホワイトヘッド形而上学良寛、わが短歌神学日記Ⅱ』なり。これ第一部『良寛「風の歌」にちなんで御友神学省察、第二部『平安ありて平和なる――ホワイトヘッドの平和論、西田哲学、わが短歌神学日記』、に続く第三部なり』

 十四 いのちをぞ今生だけと見ればこそ核時代のぞ狭隘発す
   (備考:北は、米にまで届くICBMを計画中にして、米はそれに危機を感じ取るといふのが、現今の地球的危機意識の中心なるも、これ、核時代の狭隘に他ならず。「原受肉」に学ばず、「永久のいのち」にも届かず、そもそも思考が狭隘なり。核投下の結果、多大の人命を損傷せりとするも、未来永劫「後悔」を来世にて背負うだけなり。その点を、米国大統領として思ふ時、オバマ氏の広島平和スピーチと森重昭氏抱擁の道しか「平安ありて平和なる」道は見えざりしなり。それを尊重し、受け継ぐべきなり――米国の後継者も全世界も!)

 十五 いのちがや変貌三相妙味のや煌く冒険織りなすを見よ

 十六 切れ目なき我妻の笑み告ぐるこそ生死一体いのち祝福
   (備考:復唱)

 十七 祝福ぞ平安ありて平和なるいのち変貌三相の歌

 十八 今のこの核時代のや狂騒やいのち固定の狭隘の果て





花の植え替えの後は、適度な水やりが大切です。

そろそろアジサイの季節になりますが、アジサイは毎日、たっぷりと水を欲しがります。

午前のぶらり散歩では、郵便局のポストまで・・・

市場で買い物をして、帰りに公園で一服して・・・

めずらしく、焼き芋の叔父さんにであって・・・

午後の散歩では、少し足を延ばして・・・

いま、キウリの花が咲いていました。

梅の実やイチゴ・・花々も・・・

終りに本日も猫ちゃんを・・・