延原時行歌集「命輝く」(第2765回)(今朝のベランダと昨日の花壇)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2765回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    5月20日

        一に懸かりてこそやの歌十四首

 一 恩師がや原事実にぞ向かふとぞ書きし処で我御友逢ふ
   (備考:恩師滝沢の「純粋神人学の基本モチーフ」は以下の文言に詠はるるなり:「それに対して、純粋な神人学は偶然的な。一回的に与えられたナザレのイエスもしくは聖書という形態に助けられ導かれはするが、しかし束縛されはしない。むしろ、生ける道標としてのこの形態に導かれて、もっぱら道、真理、太初のロゴスに向かうのであり、バルトと共にいうならイン目ヌエルの原事実に、永遠に新たな、絶対的に不可分・不可同・不可逆な神と人間の関係に向かうのである。したがって、神人学はその本来の内容として特殊的・史的な形態を内に持つことはできないし、ゆるされないし、また持とうとはしない。それは神人学が通俗の意味で抽象的普遍的」に思弁するからなのではない。全く逆である。神人学があの絶対的に偶有的な、ただ生ける神ご自身によって神ご自身の自由な表現点として規定された人間存在に、かたく結びついているからなのであって、この規定された人間存在を離れては、いかなる特殊的、具体的にして史的な形態も、この世界には現実として存在できないのである。」滝沢克己『純粋神人学序説――物と人と』(福岡・創言社、1988年)、272頁)

 二 恩師はやイエスの縛り嫌ふやも御友父より原受肉聴く
   (備考:『ヨハネ』15・15、熟読参照)

 三 聴きつ主は「友よ」と我ら呼び給ふおよそ縛りの無き御友げに

 四 滝沢や御友御姿なくてぞや原事実上人イエスしか見ず

 五 これやしも「インマヌエルの原事実」設立非ずそれへの応答
   (備考:以下の文言滝沢「純粋神人学」を理解する上にて不可欠なり:「カール・バルト自身はしかし、かつてパウロの助けを通して自分自身の足下で「発見」した、インマヌエルの原事実、原関係にかたくとどまっている。この原事実にうながさてれて、西洋の神学の流れに抗して、然り、彼が生まれ育った西洋の伝統に徹底的に忠実であろうとした彼自身の意識を越えて、彼は一歩一歩、歴史的に出現した形態そのものに束縛されるというところから、自由になった。そしてついに、人間イエスのこの地上への登場によって、はじめてインマヌエルの原事実が出来事となったのではなく、逆に、はじめから終りまで、常に新しく現在するインマヌエルの原事実を基盤にして、人間イエスがこの地上に現れたということに、彼ははっきり気づき、そして明確に語ったのである。ナザレのイエスの出現と共に決定的に起こっていることは、インマヌエルの原事実(原関係)そのものの設立ではなくて、唯一のインマヌエルの原事実の呼びかけに対する完全な、しかし徹頭徹尾人間的な答えである。この原事実ははじめにかつ永遠に、真の、絶対的に形無き神ご自身によってかたく創られたのである。」(270-271頁)注意すべきは、ここでは、「インマヌエルの原事実」(太初のロゴス)に内在する「インマヌエルの原受肉」が発見され無きまま、前提され、それへの人間イエスの徹頭徹尾人間的な応答が力説さるるなり。もしも、我が力説為す如く、原事実原受肉孕めるとするならば、これを父から聴きつつ「友よ」と呼びかくるが「御友」ならば、この御方は単に徹頭徹尾人でだけ在るにあらず。人死するならば御父に御運びなす御方なるなり。要するに、滝沢の記述には、我の言ふ「いのち変貌の二」が、その一と三との媒介関係者であるままに捉えらるることなしなり。一語で以てするならば、主イエス「救済者」ならず、なり)

 六 これ一に懸かりてこそや原受肉原事実中見るや否やぞ

 七 もし見るや「神共ロゴス」(pros ton theon)「太初」にぞ内在神秘人イエス超ゆ

 八 汝が笑みや生涯の際溢れてや絶後いや増す御友いませば
   (備考:復唱)

 九 切れ目なき我妻の笑み告ぐるこそ生死一体いのち祝福
   (備考:復唱)

 十 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱。右三首のいずれも、滝沢の言ふ如き「徹頭徹尾人間的なる応答」超ゆるもの示すなり。一語で以て指示すなら、共なる救済者復活者、御友なり)

 十一 滝沢や原事実中原受肉見ざるゆえにや答ふ友無し

 十二 御友はやいのち変貌一に聴き三に繋ぐやいのち絆よ

 十三 原事実それだけならば概念よ中に神共いましてや活

 十四 我やしも「原受肉」思ふたび心震へむ神共地共
   (備考:『ヨハネ』1・1・第二項「ロゴス神共なりき」(pros ton theon)第一項「太初のロゴス」に内三位一体的いのち変貌的に倶現なすとき、インマヌエルの原義全被造界に「共」《with》と成れり。これ、いのち変貌の一なり。それ承けて、御友活躍「ともあらはれ」《its Unity of Appearance》へと!これいのち変貌二→三ぞ!嬉し嬉しや!!)






連日、暑さを覚える快晴が続きます。

今朝も窓を全開、掃除と洗濯を済ませて、ベランダの花々に水やりをして・・・

昨日も、植え替えを済ませた花壇の水やりをして・・・・

終りに、市場へのぶらり散歩・・・