延原時行歌集「命輝く」(第2759回)(ご近所を「ぶらり散歩」)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2759回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    5月14日

           驚き三つの歌四首

 一 昨日や三つ驚きありたるや献金/上昇/UP案なり

 二 幼稚園クラスメイトの坂本君『平安』の上梓祝ひて献金たまふ
   (備考:伊丹市立幼稚園クラスメイトの坂本武君、1962年日本キリスト教団伊丹教会伝道師に我就任したると聞き、我が説教聴きに毎週見へ、礼拝後必ず質問ありたり:「一介の筋肉労働者にキリスト教は、いったい、なんやねん?」その結果は、この返答なりき:「坂本君、ええか、その答えはこれや。新年度から君の言う《労働者の現場》とか言ふ所に行く。」かくて1964年春、伊丹、宝塚、尼崎での日雇労働者に我成り、川西の加茂で開拓伝道、加茂兄弟団を始めたり。我が青春の修行道場なりき。坂本君は伊丹教会で佐藤健男牧師から受洗したり。以来、半世紀我が著書出るごとに我送りたり。彼その毎に献金す。何たる神に在る友垣ぞ!)

 三 我が訳著『プロセス神学』急上昇アマゾンにてや二十万位
   (備考:詳しくは、ジョン・カブ、デービッド・グリフィン共著、拙訳『プロセス神学の展望――概論的解説』東京・新疆出版社、1978年、なり。渡米先クレアモント神学院にて大奮闘の訳業なりき)

 四 もうひとつ熱誠の友メールあり往復書簡やUP如何と
   (備考:それがぞや、我の作物の多くのブログUPを手掛けたる鳥飼慶陽師(神戸番町出合の家)による、恩師滝沢克己先生と我とが1960年代初期から1984まで続けし、往復書簡の公開UPに関する提言、May 12: 9:25 PM,なり。我が応答以下、May 13, 6:36 AM、の如くなりき:「鳥飼先生 第42回延原時行歌集のテキスト化誠に有難うございます。仰せの往復書簡のお宝の事、モチーフはこの頃、どうも、「原受肉」ではないかな、と思ってきています。長い長い間、滝沢先生とは対話を許されてきたのですが、先生の「インマヌエルの原事実」に対して私は、そもそも「インマヌエルの原義」がどこにあるか、という問題提起をしてきた結果、今でははっきりと『ヨハネ』1・1・第二項「ロゴスは神と共なりき」(pros ton theon)がそれであると認識することが出来ています。ところが、滝沢先生は。「原事実」とおっしゃって、『ヨハネ』1・1・第一項「太初のロゴス」に依拠された結果です。これには、従って、第一項は第二項とどのような関係が在るのか、という神学上哲学上非常に大切な問いが伏在しています。先生はその事実に無関心でいらした。ただ、今度の拙著に初めて公に収めさせていただいた、ご書簡1983年7月1日夕付に明らかなように、神性の個々の事実への現れ、という認識ははっきりと持っておられた訳です。
 そうなのですが、先生はずっとその事をヨハネロゴス論の原典に即してロゴス論としては明らかには一度もしてこられなかった。私は最近では、問題が「原受肉」であると、明らかにするようになりました。7月の国際ホワイトヘッド学会のポルトガル大会で、「原受肉」の問題を英文で発表いたしますから、世界中に公表されるわけです。
 「原受肉」とは、①インマヌエルの原義は、「ロゴスが神と共であった」という、世界と人間の事を含まない、ロゴスと神(天父)の関係の問題のところにあるという事だったのですが、②それが「太初のロゴス」に内在する、という、内三位一体的事情、内三位一体的消息、内三位一体的変貌を経ている、その結果、世界内的事実を招来しているという問題、大問題であります。この大問題を正確に正直に踏まえないと、滝沢の「インマヌエルの原事実」は、学問的に提起することが出来ない、というのが、私の「原受肉」の問題提起であるわけです。
 この事をはっきり出さないと、往復書簡の公開の意味は、あまりないと思います。そういう風に思うようになりました。
 いずれにしましても、この問題は、今度の私の学会発表で明らかにいたします。そのまえに、『哲学の喜び――チェンジの時代に、根底を省察する滝沢語録を読む。』でも、予備的に指摘され(ここではほんの少しだけ)、次著『カール・バルトと滝沢哲学の<あいだ>―−祈祷論、キリスト論、アンセルムス論を背景にして「原受肉」の提案』において本式に、英文著:Christology, Buddhist-Christian Dialogue, and Divine Ecozoics: Three Theological Adventures in Process Perspectiveにおいて世界的に発表、ということになります。そういう背景があって、往復書簡の公開は意味がでてくる、と思っています。
 私としましては、このような事情で、滝沢哲学は、漸く新たに面白くなった来ました。『哲学の喜び』は、このような事情の中で、只今、小野寺先生にご閲読いただいております。さて、どのようにお感じになりましょうか。興味津々であります。
 右、お礼方々ご返事まで 草々不一
 IXIA! 延原時行」
 鳥飼慶陽師の再メール便5月13日土曜日 8:21 「延原先生 おはようございます。そうですね。いっぽいっぽ、新しい省察と著作の進展があって、「往復書簡」のお宝は、その中で生かされていけばいいですね。必要があれば、ご遠慮なくお申し付け下さい。強い雨です。これからブログのUPに取り掛かります。どうぞ、よい一日を!
 IXIA! 鳥飼慶陽」)





昨日もご近所を「ぶらり散歩」を楽しみました。
上は、補修と剪定をおえた「一番町公園」です。
市場で買い物をして、帰りにちょっとここで一服・・・

散歩では、途中で芝桜を眺めたり、新湊川の公園まで足を延ばして一服したり・・・ツバメたちがスイスイと・・・

その帰りには北町住宅のひろばで「カワラヒワ」を見上げたり・・・


終りに、道に黄色い花がいっぱい落ちていて・・・
この花は何という花でしたかな?