延原時行歌集「命輝く」(第2755回)(「さんさん花壇」の耕し作業)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2755回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    5月10日

      心底より「平安ありて平和なる」歌十首

 一 オバマ氏や平安ありて平和なる人類(ひと)コア矛盾懺悔友抱く
   (備考:これ、拙著『平安ありて平和なる』の巻頭の歌なり)

 二 この時代益々本書欲するや核の愚昧を省察せむと

 三 核もはや省察だけで躱(かわ)せぬよ心底より歌詠み仰ぐ

 四 天仰ぎ平安平和祈らなば核にて人類(ひと)や百年持つや

 五 人類史そこまで来る覚え無くうかうかとぞや破滅瀕すか

 六 人類(ひと)といふ者罪深し広島や長崎惨事ちと軍略ぞ
   (備考:ちと軍略とは、米軍上陸作戦では百万米戦士の消滅「一億玉砕」の日ノ本決意の前に予想して「原爆で済ますこと」にしたる故なり。かくて、二度と核投下やあらず。あらば、人類絶滅の契機なり、核応戦当然あらば。それにせよ、核投下にぞ抗してや、日の本(IS如き)「テロ反撃」に打って出ることなかりきや、奇蹟なり。幾十万二発原爆ピカドンの惨事に遭ふも、被爆者諸氏ただ堪へに堪へたり。我御友共なりし奇蹟とぞ我妻笑み増し実見せし時信じたり。我が歌は其処に瞬発せし信仰の叫びなり。これ、見給ひし、西村恵信先生おひとりなりし我が感激なり。「本書の如き延原先生でなくてはあり得ない東西に亘る《現代の信仰告白》であり類書の追随を許すことはあり得ぬ稀書と信じます。奥様の微笑が見えるようです。」(三月三十日付御葉書)の尊き御文字、我が心底を打つなり。而して同時に広島長崎の被爆者諸氏、殊に御友に在りて復活せし人方の心底を打つなり!我、知性ありても歌心なき人方、この御文字断じてなき事嘆くなり。核惨事に就いてや、軍略、知性を越えて、如何で歌心なしで人としておれやうか!)

 七 歌心社会教には無かりけり御友にありて叫ぶ人ほか

 八 軍略や狂気除くの力なし「平安ありて平和なる」げに

 九 軍略を越えにぞ越えし歌心形而上学体してぞ泣く

 十 創作用そも究極事性(さが)なすや無自性なるに大悲事(じ)に寄す
   (備考:復唱。これ、本書の〆歌なり。事(じ)とは、誰あらう、広島長崎の被爆復活者の事なり。この人方に、天父(注。天=内三位一体的神性に、至誠なる御父)の御子、御友愛を注ぎ給ふなり。度々言ふことなれど、「天にまします我らの父」は、「ロゴスが共にいます空間にいます神」(pros ton theon)の事にして、《共にいます空間》「に於いて在る」御方なり。《共にいます空間》内三位一体的神性Gottheitなり。これを、簡単には、「天」と称す。「に於いて在る」は西田の用語にして、我はその含蓄を「至誠なり」と取るなり。従ひて、「内三位一体的神性」に至誠なる御神Gottこそ、天父なり。此処を読み誤り、「天」と「父」とを同等者と見る時、至誠心を「正義」(=equity:同等意識)に換へる偽神学が発生するなり。これが、キリスト教絶対主義(ないしはそれと同等の主義)の「世界支配」の原点なり。原爆投下は、この疑似形而上学の正義観から放たるるものの如し。原爆は究極兵器なる故、なんらかの究極的疑似形而上学意識なきまま投下なすこと不可能なり。人間は、非究極的被造者なる故、究極兵器=核兵器を使用する権限を有さず。これ、核兵器廃絶の基本的哲学なり。しかと知るべし。もしも、形而上学の正当なる学殖あれば、「核兵器廃絶の基本的哲学」は至当なる学的真理として受容さるべし。而してこの事、我の詠へる「形而上学短歌」の具体的帰結なり。この故に、いかに巨大な蓄積あらうとも、核兵器の使用は、形而上学的に、非究極的被造者人類には不可なり。この事しかと知るべきなり。我、オバマ前米国大統領の広島平和スピーチと森重昭氏抱擁は、第二次大戦中の核投下の大罪=「コア矛盾」の懺悔として、全人類が受容承認すべき事柄なりと信ず。然りとすれば、三度目の核投下など、あるべきはずのものに非ず。猶、付言するならば、「正義」(=equity:同等者意識)については、神が神性(=空、創造作用)に対して至誠であることの結果として「汝らの天の父が至誠であられる如く、汝らも至誠であれ」(『マタイ』5・48)といふ御友の命法の範囲内において妥当する法意識なりと再解釈さるべし。右に記した事どもは、「平安ありて」の釈義なり。「神神性(=ロゴスと神共なる内三位一体的空間)に至誠なる故、汝らも至誠なれ。」との命法は「平安」釈義として、人類に核投下の権限無し、といふ条項を含む。ここに「平和なる」なりと知るべし)





昨日は一昨日に続いて「さんさん花壇」の土づくりに精を出しました。スコップで腐葉土をたっぷりと混ぜて・・・・。

数羽のスズメたちが遊びに来て「土遊び」をするのをながめたり、道行く方々との思いがけない語らいを楽しんだりして・・・・。

午後も小雨がぱらつく中を、ゆっくりゆっくりと・・・

終りに、中庭の花壇に咲く白い「小手毬」と「すいせん公園」の「アンズの実」などを収めます。