延原時行歌集「命輝く」(第2745回)(昨日の「さんさん花壇」など)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2745回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    4月30日

           人類欣求の歌十二首

 一 汝に向け(ad te)造られし故汝が内に憩ふまで我安きぞなきや
   (備考:アウグスティヌス『告白』服部栄次郎訳[上巻]、岩波文庫昭和15年、9-10頁:「汝は、人間を呼び起こして、汝を讃えることを彼の喜悦となし給うた。汝は我々を汝に向けて造り給い、我々の心は汝の中に休らうまでは安んじないのであるから。(tu excitas, ut laudare te delectet, quia fecisti nos ad te et inquietum est cor nostorum, donec requiescat in te.)」)

 二 かくやこそアウグスティヌス言ふを聴き「原受肉」説我も告げむや

 三 「原受肉」在りて御招き聴きてこそ御友共我飛翔欣求す

 四 人類(ひと)として根本欣求何なるか確かめずばや核で滅ぶや

 五 カービンソン北に迫るも安保理や惑ふや惑う人類(ひと)何求む

 六 核投下なせし理由ぞ疑似絶対人類(ひと)に欠けしや真実欣求

 七 かくてこそ広島の惨人類(ひと)文明懺悔なくばや百年持たず

 八 オバマ氏や平安ありて平和なる人類(ひと)コア矛盾懺悔友抱く
   (備考:復唱。これ、脱核第一歩なりき)

 九 人類(ひと)欣求平安こそやなくばぞや核戦争に文明滅す

 十 神人を愛してこそや「原受肉」世界隈なく在る御友告ぐ
   (備考:「野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華を極めた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。」『マタイ』6・28−30、熟読参照。ここでイエスの言ふ「信仰」は、所謂「キリスト教信仰」に非ず、明らかに「原受肉」への信仰なり。然らずや?)

 十一 御友共飛翔欣求ぞなきやこそ世界争奪戦さぞ激し

 十二 創作用そも究極事性(さが)なすや無自性なるに大悲事(じ)に寄す
   (備考:復唱。我この一首にて形而上学的に詠ひし「大悲」、「原受肉」以外にや非ず。然るが故に、「創作用そも究極事性(さが)なすや無自性なるに」は、聖書的に言へば、原義のインマヌエルなる『ヨハネ』1・1・第二項「ロゴス神と共なりき」(pros ton theon)の事なり。この「神共」が「原受肉」の主体なり。イエスは常にこれを「装って下さる神」と言ふなり。この点、ホ氏が世界の外からの世界創造を否定して「神は世界に《内在する》」(”God is ‘in’ the world.”[Dialogues of ANW, 366]と言ふ時、我が提言の「原受肉」の意義における如しなり)







上は、昨日の「さんさん花壇」です。チャリンコに乗って花屋さんで少し上等な「化学肥料」を買ってきて・・・。

昨日は大量のドキュメントをコピーしていて、途中で写りが不調となり、ついに故障・・・活字のテキスト化などにもフル活用してきましたが、10年以上も使用して来たので、どうも買い替えが必要になったようです。明日は行きつけの「ヤマダ電機」をのぞいてみますかな。

終りに、花と雀と・・・この頃、ツグミの姿が見えなくなりました。

足元に蝶々が・・・