延原時行歌集「命輝く」(第2728回)(新湊川の桜と枝垂れ柳と長田神社、そして苅藻川の桜など)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2728回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    4月13日

          如何に幸なるの歌十二首

 一 漸くに書名確定なれる我「いのち変貌と御友神学」
   (備考:これ、近著『平安ありて平和なる――ホワイトヘッドの平和論、西田哲学、わが短歌神学日記』新潟・考古堂書店、2017年、の次著なり。表題『いのちの変貌と御友神学――ドストエフスキーホワイトヘッド形而上学良寛、わが短歌神学日記Ⅱ』。いのちの変貌、最も深きかたちは、「原受肉」「御友神学」「飛翔永生」なり。『ヨハネ』3・16、これを”For ①God so loved the world that ② he gave his only Son, ③ so that everyone who believes in him may not perish but may have eternal life.”と言ひ表したり。「世界への愛」「独り子」「復活永生」の、いのちの三変貌を含むなり。何が変貌なすかと言へば、『ヨハネ』1・1・第二項「ロゴス神と共なりき」(pros ton theon)に含蓄される「原義のインマヌエル」なり。「原義のインマヌエル」が①「原受肉のインマヌエル」(これ滝沢の言ふ「インマヌエルの原事実」の内奥なり)と化するが第一次のいのち変貌なり。次に、②これを「父から聴きてなべて我らに「友よ」と告ぐる御方御友」のはたらき(『ヨハネ』14・15)すなわち「受肉のインマヌエル」、これ即ち、第二次のいのち変貌なり。而して、第三次に、③御友に告げられたる事を信じ尽くし御友と共に御父へと飛翔なす、これ「原義のインマヌエルへの帰還」にして「インマヌエルの受肉の完成」なる第三のいのち変貌「復活永生」なり。キリスト教は、三つのいのち変貌を含むものとして、「原義のインマヌエル」の「原受肉」「受肉」、それへの「飛翔還帰」の姿なり。しかしながら、普通キリスト教として知られたるものは、「原受肉」も「飛翔還帰」も除きたる、「受肉」のメッセージのみなり。我これを「社会教」と名付くなり。地の深みなる「原受肉」も、天の高きなる「飛翔復活」も知らぬ、この世に有る限りの「単なる望み」(『第一コリント』15・19)なればなり。「いのち変貌」は三相あり。而して「御友神学」はこれらの、御友ご自身による、解釈学なり。誠に尊き御事なり)

 二 この書名体現したる我が歌や際に絶後に笑む妻称ふ

 三 汝が笑みや生涯の際溢れてや絶後いや増す御友いませば
   (備考:復唱)

 四 笑みて死に死して笑むほど切れ目なき笑みの人汝延原信子

 五 この世のぞ最期と言ふに歓喜のみ只々感謝捧ぐや信子
   (備考:これ我が信子の死に関する最大の驚きなり。つまりこれ死に非ず、いのち変貌なり、甦りなり)

 六 憂ひなど一切や無き驚きぞ而して飛翔御友共にぞ

 七 思ひ出を作りて天父持参せむ棺焼けても献ぐや喜悦

 八 かく程の飛翔喜び我共に御父欣求す詠ひけるかな

 九 何故に飛翔喜び溢るるや御友共にぞ在す故なり

 十 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す

 十一 この歌ぞ妻往くをこそ称へてや溢れ出ずるや胸中の華

 十二 人呼びて汝時行ぞ甦り正に分かつや如何に幸なる





満開の桜はまだまだ続きます。今朝も穏やかな快晴で、多い目の洗濯と窓全開の掃除を済ませました。

昨日も新著の文庫本に触れてお手紙などいただきました。そのひとつにクラスメイトの犬養光博さんから「245頁のハワイのヌアヌ教会」の誤記の指摘をいただきました。すでにこの誤記は延原先生からも指摘を受けて二刷りでは訂正されることになっていますが、嬉しいお便りでした。クラスメイトの多くはいま隠退する人も多くなっていますが、文庫本の出版を機に電話や書簡で近況を語り合うよい機会になっています。ミニクラス会をしようではないかとも・・・。

昨日も午前と午後と「ぶらり散歩」を楽しみましたが、上の写真は、長田商店街を横切る新湊川の桜と新緑の枝垂れ柳です。

ここから遠くない「長田神社」の境内へ・・・・

大きな二本のクスノキを見上げて・・・・

境内のハトたちとねこ、そして小さな桜の樹・・・

神社の横にあるお宅の大きな木のピンクの花は何の花でしょう?

苅藻川に咲く桜もいまが最高です。

帰路は新湊川の添いをぶらりぶらり・・・・