延原時行歌集「命輝く」(第2699回)(石碑「西野小学校廃校記念」と西野幼稚園と夜間中学校跡)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2699回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    3月15日

             或日の歌五首

 一 父さんな何時往ってもなどんなにな感謝してたか忘れんといてな
 二 あんたにも忙しい目に逢はしたないや痛快な人生でした
 三 或日我妻のベッドに向かひてや話しかくるも楽しかりけり
 四 この会話今も変らず続き行く仕合せ妹背げにも我らよ
 五 汝が笑みや生涯の際溢れてや絶後笑み増す御友いませば
   (備考:復唱。なあ、ノーちゃん。そう、父さん、嬉しい嬉しい)

    15日―2

         「原受肉」学術活況源泉の歌八首

 一 我思ふこの分だとや「原受肉」少なくともや三著産まむと
   (備考:第一は『御友神学三変貌の考察――良寛ドストエフスキーホワイトヘッド形而上学、わが短歌神学日記Ⅱ』なり。「原受肉」こそ変貌の「一」なり。第ニ著は『カール・バルトと滝沢哲学の<あいだ>――祈祷論、キリスト論、アンセルムス論を背景に「原受肉」の提言』なり。これ、旧著『ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>―−仏教的キリスト教哲学の構想』京都・法蔵館、2001年、の姉妹編なり。第三著(英文)は、2月24日ドイツの出版社LAMBART Academic Publishingの出版オファーのメールに応へて作成しつつある一書:Christology, Buddhist-Christian Dialogue, and Divine Ecozoics: Three Theological Adventures in Process Perspectiveなり。生涯にわたって、決定的なる時に決定的なる雑誌に寄稿したる会心英文論文の集大成なり。全体は半世紀をかけてすでにほぼ完成したるも、新たなる一稿“On the Problem of the Proto-incarnation: In Dialogue with Takizawa’s Idea of the Proto-factum Immanuel and Whitehead’s Doctrine of God as “With” All Creation”をエピローグに付して、入念なる推敲要す。一本に二世紀の神学界の歩みに応ずる我が作品を纏める、雄大なる企画なり。米友人Herman Greeneもa wonderful bookにならむと、期待せる述作なり)
 二 心せよ「原受肉」はや相方に「イエスの宗教」「原事実」あり
 三 はたまたやホ氏の”with”や学術の論議底割る源泉ぞそも
 四 尊きは学術論議源泉ぞ謎ありてこそ学活性化
 五 バルト言ふ「和解論」即受肉論標準成すや陳腐ならずや
 六 「原受肉」いざ投入やあればこそ哲学神学活況呈す
 七 教界や復活不信常態ぞこれ「原受肉」不識ありてや
 八 「一」なくば「二」のみ陳腐に留まりぬ教界なべて「三」ぞ忘却
   (備考:「一」=原受肉;「二」=受肉論;「三」=復活永生)
 九 孜々として半世紀書く英文稿地球の友や閲読嬉し
 十 然れども事が成るやはひとえにや愚鈍に摂理




上は、昨日の日没の風景です。

下は、昨日ご近所の方からいただいた素敵な「春よもぎ餅」です。

昨日はFacebookで文庫本の表紙を収めたら、早速友人の方々からピンクしるしの「超いいね」という嬉しい応答が続きました。

延原先生からもわざわざお電話で、この作品は「歴史書」「思想書」「歴史を超えた同時代の書」そして「友情の暖かな書」などとお褒めいただき、ありがたくうれしく・・・。

明治学院の方からも「書名に明治学院と入れていただき、関係者として誇らしく感激いたしております。このことは、学内外に関わらず、広く紹介させていただきます」ということばを添えて「YOKOHAMA・KAORI;MEIJI GAKUIN UNIVERSITY」の贈り物を拝受いたしました。・・・

本日の写真は、昨日ぶらり散歩で撮った地元の「西野小学校廃校記念」(創立明治6年11月28日:廃校大正12年11月31日 職員・児童建立」と「神戸市立丸山中学校西野分校夜間中学校」跡――ここではあの阪神淡路大震災のときまで「西野幼稚園」と「夜間中学」がありましたが、現在は別の場所に移転してしまいました。

現在は「ひろば」になったままですが、いずれまたこの場所に戻って新しく開校できることをひそかに期待しています。

昨日の午後のぶらり散歩では、いつもとは別コースで、新湊川まで・・・

ジュ―ガツサクラとともに、はやさきの桜の花など・・・