延原時行歌集「命輝く」(第2695回)(日に日に春めいて・・)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2695回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の旅一歩一歩」

    3月11日

    (三周活の祝ひ日)今日の大発見”with”の歌八首

 一 何故に原受肉はや生起すや空に神そも至誠なるゆえ
 二 ホ氏もぞやこの問題を考究し神原初なる本性窮む
   (備考:See Process and Reality, 343: “Viewed as primordial, he is the unlimited conceptual realization of the absolute wealth of potentiality. In this aspect, he is not ‘before’ all creation, but ‘with’ all creation.”普通この一節、我の言ふ「原受肉」を問題になす箇所とは、ホワイトヘッド研究者知らず。我の問題意識は、この点特別なり。即ち、インマヌエルを明示する聖書個所は、『ヨハネ』1・1・第二項「ロゴスは神と共なりき(pros ton theon)」にして、恩師滝沢がその「インマヌエルの原事実」の箇所として生涯にわたり常に依拠したる典拠は、『ヨハネ』1・1・第一項「ロゴスは太初にありき」とだけ記述し、「インマヌエル」の明示的含意はそこになし。この端的なる事実を滝沢意識せざる観ありき。「インマヌエル」の明示的含意なき「太初のロゴス」を典拠にしてインマヌエルの原事実を学問的に論ずる事、甚だ困難なり。必要なるは、(1)「インマヌエル」は、原事実=全き偶有に非ざる故に「インマヌエルの原受肉」を考究すること、ただし、(2)「インマヌエルの原事実」の中に「インマヌエルの原受肉」在りとなす事、従ひて、「インマヌエルの原事実」は「インマヌエルの原受肉」を孕むと認識する事なり。(3)知るべきことは、「インマヌエル」は、元々、「ロゴスが神と共なりき(pros ton theon)」と言ふ範囲の言説なりて、神と共なるは「ロゴス」なりて、創造界には非ず、という限界設定なり。これを如何にして、創造界一般の真理になすべきや?これ大問題なり。
 (4)この大問題を突破するには、神内部の三位一体論的「冒険」として第二項「神と共」(pros ton theon)が第一項「太初」(創造界の始め)に移行受肉が生起なせり、と知ることが肝要なり。これは、内三位一体論的にして、同時に創造界と関係的なる、転移冒険なることと、知ることが肝要なり。 
 かくここに伏在せる問題性を理解する時、ホワイトヘッド形而上学の論点極めて興味深きなり。
 三 空に神至誠なる故その如く万物神に一枚(至誠)なれとぞ
    (備考:先にあげたホ氏のPR, 343の文言”(a)the unlimited conceptual realization of (b)the absolute wealth of potentiality”に注目し、(a)は(b)に対して「至誠なり」との形而上学的判断を我が「至誠心の神学」の立場からなすこと肝要なり。この場合ホワイトヘッド有機体の哲学に対して我が固有の「至誠心の神学」の方法でもってアプローチすることになるなり。さて、果たして成果やあるや?
 四 而してや一枚成るや誠にや至誠の極みホ氏”with”とす
   (備考:この”with”の含蓄、注意すべきことに、内三位一体論的にして神と創造界の関係論的の二重性あり。かくして、神内部の「共に」(pros ton theon)が、いまや、神と創造界の関係論の範疇に転移冒険中なりと、知るべし。即ち、"with"の含意、「内三位一体論的」なる「神と共」[pros ton theon]から「神と世界」関係論に移行中なるなり)
 五 此処にぞや御友神学発するを我しかと知る感動無限
   (備考:即ち、①原受肉の意義における「御友」此処に現れたり。これに聴き、これに呼応するもの②父から聴きて「友よ」と我ら弟子に呼びかけ給ふ、『ヨハネ』15・15の意義における「御友神学」(ちなみに、御友神学とは、御友神に学び給ふ、と言ふ意義にして、神学専門家の人間のなす神学に非ず)次に現るなり)
 六 御神が万物よりも”before”「先」ならず”with”「共」なるこそインマヌエルぞ
 七 これ今日の我が大発見ホ氏学理インマヌエルを証示したると
 八 これ恩師原事実をば神性の表現点と言ひし時似る
   (備考:滝沢克己『純粋神人学序説』(創言社、1988年)、272頁、拙著『平安ありて平和なる――ホワイトヘッドの平和論、西田哲学、わが短歌神学日記』(考古堂、2017年)、滝沢書簡、1983年7月1日夕付、157頁、参照。ただし、恩師滝沢惜しむらくは、「如何なる表現点か」明示せざりき。我それを「インマヌエルの原受肉」とは言ふなり)
 




今朝は大分寒さが緩んできました。上の写真は、昨日の青空と夜のお月さんです。

この度の文庫本が出来上がって出版元から著者宛に少々届けられたので、早速先輩や友人にお届けした後ですので、このところ毎日お便りやお電話をお受けしていて、拙い本ながら出版に踏み切っておいてよかったな、と思っています。

昨日はお隣の西市民病院の六階にある庭園に出掛けて写真を数枚収めてきました。ここは救命ヘリポートもOKのスペースがあるようです。

昨日の午前と午後のぶらり散歩で見つけた「春の気配」を並べます。

終りに「メジロ」と共に「ねこととり」と・・・