延原時行歌集「命輝く」(第2691回)(久しぶりに兵庫県庁へ;前庭の広場の桜は満開です)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2691回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    3月7日

          久々にぞやの歌十八首

 一 昨日は久々にぞや淳久堂我が書並ぶをながめしは佳し
   (備考:5日日曜日、新著から順々に考古堂刊六著、一階郷土コーナー、地階人文コーナー仏教書良寛コーナーに面々並びおり、友人知己に逢う如くなり。楽し)
 二 日報の「郷土の本」欄一文や本書紹介簡潔見事
   (備考:《延原時行著「平安ありて平和なる」/ 敬和学園大学名誉教授で、比較宗教学が専門の著者。/ 昨年のオバマ米大統領の広島訪問をひとつの軸にしながら、神学日記的な短歌をつづった。/ ホワイトヘッドの平和論と西田哲学論を踏まえ、世界の和解と対立の構造を考察した。/ 本書は、仏教とキリスト教の宗教間対話を主眼として近著「良寛『が是の歌』にちなんで」の詩的かつ哲学的な「補遺」という。(考古堂書店・2700円)=随時掲載=》なり)
 三 これにてや本書新潟印象の的とや成れり簡潔が良し
 四 何にもや増して嬉しき一事はや前著の「補遺」の経緯しめさる
 五 仏基のや対話視点の「補遺」として広島悲劇オバマ訪佳し
 六 この時代「平安ありて平和なる」この標語ほど尊きやなし
 七 それを我明示したるや此度の書地球人のや心に刻む
 八 人知らむ本書隠るるモチーフや十字架の主の叫びなりけり
 九 核時代これ軍略の問題か否人類(ひと)罪性叫ぶ主のあり
 十 それでこそ「平安ありて平和なる」歴史救済正に具現す
 十一 幾十万人方投下ピカドンに絶命せしも平安主ます
   (備考:復唱)
 十二 オバマ氏や平安ありて平和なる人類(ひと)コア矛盾懺悔友抱く
   (備考:復唱)
 十三 帰宅して先達御文開きてや「新島受洗シンポ」読む
   (備考:北垣宗治先生著「新島襄受洗150年記念シンポジウム」及び同「シンポジウム総合討論」『新島研究』(第108号、2017年2月28日発行)なり。焦点は新島襄の「代罰」信仰なり。単なるリベラリズムを超ゆる「代罰信仰」と「天父信仰」尊し。我に取りては、御友神学ありて御友と共に復活し、天父に帰還なすことキリスト教信仰の中核にして、かつ人類史脱核時代の焦点なり)
 十四 代罰や御友我受け御父へと運び給ふや共甦り
   (備考:通常プロテスタント信仰にては「代罰」「罪の赦し」までは言ふも、何故同時に「共甦り」まで言はぬか。「共甦り」まで言ふは、ホワイトヘッドの究極形而上学にして、”its Unity of Appearance” が彼の文言なり:"In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention.” [AI, 295]「共甦り」故に我基督を「御友」と呼ぶなり。ここにおいて主基督我と「一枚」なり、而して御友我を「御父へと運び給ふ」なり。それ故、御友神学/御友道を我「大乗キリスト教」と呼ぶなり。通例のプロテスタント信仰、代罰信仰、罪の赦し信仰なるも、「共甦り」に達せぬため、我「小乗キリスト教」と呼びたし)
 十五 いのちとは切れ目なき事或る日我深く諭さる我妻笑むや
   (備考:我と御友と天父「切れ目なき」一体なり、これ「いのち」なり。これ我妻の絶後笑み増しに我見しなり。なあ、ノーちゃん。そう、父さん、嬉しい嬉しい)
 十六 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:「深き低み」とは恩師滝沢のインマヌエルの原事実の立場なり。実存の根底をかく呼ぶなり。『純粋神人学序説』274頁、参照。この根底絶対に「偶有的なるもの」《Kontingenz》と滝沢言ふなり。絶対の偶有我によれば人を救うことなし。「絶対の偶有」の根底、インマヌエル(『ヨハネ』1・1の第二項に言ふ「ロゴス神と共(pros ton theon)なりき」) の原受肉こそ、救ひの力なり。この点の指摘に於いて、我がインマヌエルの原受肉の立場、恩師のインマヌエルの原事実〈=絶対の偶有〉を超ゆるなり。其処を、「深き低みの底ぞ飛翔す」と詠ふなり。「底」は一切の偶有のその「底」なり。この「底」が「実存の底」を担いて御父に飛翔なす、これ「大乗キリスト教の救済」の端的なり。この端的我笑み増し往ける我妻の姿に見しなり。なあ、ノーちゃん。そう、父さん、嬉しい嬉しい)
 十七 汝が笑みや生涯の際溢れてや絶後いや増す御友いませば
   (備考:この救済の端的を我「御友いませば」の一句で表現したるなり。御友は「実存の根底」を底から包みて御父まで我らを運び給ふ御方なり。そういふ方として「絶対関係」と我言ふなり。我らの信仰(「代罰」の信仰を含めて)が御父への関係を成すに非ず、御友こそ絶対関係なり!インマヌエルの原事実はまだそさういふ観念なり。御友が絶対関係なり!これ我が御友神学なり。御友神学の端的により、我恩師の「インマヌエルの原事実」を超へしなり)
 十八 かくて我宛名書きをぞ猛烈に始めたることいと面白し
   (備考:『新潟日報』一文に励まされたるまま、ここまでに記述せる了解に立脚しつつ、新たなる軽み得て、我書くなり。面白し)





先日(3月2日)拙著をもって姫路の「水上村川のほとりの美術館」の岩田健三郎・美樹ご夫妻に文庫本の表紙の装丁制作の御礼に出掛けた折に、岩田さんの日録誌『へらへらつうしん』と最新の版画作品を寄贈いただきました。前回掲載できませんでしたので、遅ればせながら。

昨日は午前中、久しぶりに兵庫県庁に出かけてきました。これまで新著を刊行した時は県庁の中にある記者クラブの各新聞社へ寄贈する習わしにしています。そうすると記者の方々が記事にして下さることもあるのです。この本は4月1日発売予定で、まだ少し時間があるので、第一線の記者の方々にじっくりと読んでいただいて・・・・。

このたびお世話になった方々や知友に寄贈させていただきましたが、本が到着したらしく、わざわざ昨日はお電話やメール便などで御礼のことばをお受けしました。嬉しい一日でした。

本日の写真は、兵庫県庁の広い前庭の景色です。県庁へはこれまで何度の仕事で出向いてきましたが、こんなに広い前庭があることはまったく知りませんでした。

ここから眺める近くの「神戸栄光教会」(このたびの文庫本ではこの教会の歴史に言及しました)や「兵庫県迎賓館」の景色もはじめてのアングルです。はやくも桜の花が満開です。

このひろばには「若き日の織田信長像」もありました。誰一人ここを散策する人はいませんが、ひとり贅沢なひとときを過ごしました。