延原時行歌集「命輝く」(第2636回)(冬のさくら、そして紅白の梅)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2636回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    1月11日

         御友神学如何に尊きの歌十首

 一 今の世や万(よろず)恣意かと思はるる自己第一に至誠ぞなきや
 二 恩師はやインマヌエルの原事実万基(よろずもと)とす原受肉見ず
 三 太初言この世始原にあれどもや「神と共なる言」なくば詮無し
 四 いみじくもこれ全きの「偶有」と述べしや恩師何故イマヌエル?
   (備考:恩師滝沢のインマヌエルの原事実論の特徴は、恩師常に言ひ給ひし如く、「原事実」は全く「偶有」[Kontingenz」に他ならずに尽きたり]
 五 原事実「神と共なるロゴス」のや原受肉ぞや一切始原
   (備考:これ我が新説の極みなり)
 六 ロゴスさま父と共なる空にぞや至誠ましまし始原内住
   (備考:「神と共なる」[pros ton theon](『ヨハネ』1・1・第二項)は、「共在」の事実に関する限り、共在空間ないし共在の場所と言ふべきなり。この空間ないし場所の両極が「神」と「ロゴス」なり。共在空間ないし共在の場所は、形而上学的究極者なるも、両極、ロゴスと神は、宗教的究極者なるものとして、前者に至誠なり)
 七 御父もやロゴス共なる空にぞや至誠まします見よ御友宣ぶ
   (備考:『マタイ』5・48、熟読参照:「汝らの天の父が全きが如く汝らも全かれ。」)
 八 原受肉成る始原にや神至誠溢れ招くや汝が至誠
   (備考:この歌でや我至誠なる御神の如く至誠なれとの御友の招きを「原受肉」に込められたるメッセージとして御友が解読し給ふと取る解釈学=御友解釈学=に立脚するなり。『マタイ』5・48の場(Sitz im Leben)をかく解釈なすこと、斬新なり。御友が「神より聴きし」と述べ給ふ時、「原事実」の内へのインマヌエル(神と共なるロゴス)の「原受肉」の御友解釈学が発動さるると取るべきとは、我が提唱なり。ここに、原受肉の解釈学が御友神学の内容なりとの我が立場を表明するものなり。この点、恩師滝沢のインマヌエルの原事実学=純粋神人論=が「原事実」解釈学なりしと似て、我が御友神学、「原事実=原受肉」解釈学なるなり)
 九 それ徹見御友語るや神よりぞ一切聴きし「友よ」とぞ哉
   (備考:これを「原事実=原受肉」解釈学としての御友神学と言ふなり)
 十 これこそや「原受肉」をば基と見し御友神学如何に尊き
   



昨日は、ご近所の公園で、紅梅の梅の花に出会いました。メジロヤマガラ?といっしょに・・・・。

珍しい冬のさくらも、まだまだ満開のままです。

昨日は、熊本の玉名から古川龍樹師の来訪を受けました。関東学院でのご講演の前に、大切な時間をさいて立ち寄ってくださいました。「福岡事件再審運動」に身をささげた古川泰龍・美智子の拠点となった玉名市の「生名山シュバイツァー寺」を「記念館」として整える夢を宿しての来訪でした。新しい年・2017年も古川龍樹脂の全国行脚は続きます。

終りに、ねこちゃんとともに春を告げる景色などを・・・・