延原時行歌集「命輝く」(第2624回)(鳥と花、そして一献)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2624回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

「太初のロゴス」の実相が明らめられます。

    12月30日

           見し時以来の歌七首

 一 我が歌を読める人びと思ふらむこの人青年心意気げに
 二 正にぞや然りと我ぞ応へむや我妻の笑み見し時以来
 三 汝が笑みや生涯の際溢れてや絶後いや増す御友いませば
   (備考:復唱)
 四 これ程の御友の奇蹟あらむとは心和らぐ笑む妻と共
 五 そこにはや誠涙のあるでなし喜悦溢るや御友共にて
 六 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)
 七 実存の底より深き御友/底妻を抱きて御父御許へ
   (備考:恩師滝沢インマヌエルの原事実論と我が御友神学の相違せるや、ここにあり:すなわち、実存の底そのもの「インマヌエル」に非ず、其処にさらに深き「ロゴス神と共なりき(pros ton theon)」(『ヨハネ』1・1・第二項)なる「原インマヌエル」「原栄(もとさかえ)」(『ヨハネ』17・24)の内在・原受肉さるることありて、其処「内在インマヌエル」としての「原受肉」と申すべきなり。これ、「太初のロゴス」の実相なり。人死する時、今までは「内在インマヌエル」に支えられたるあれど、直接に「原インマヌエル」「原栄」の御友を介しての支へと飛翔へと変転なすなり。これ、我、「御友/底妻を抱きて御父御許へ」と詠ふなり。「御友/底」とは、御友の御姿にして、「原インマヌエル」「原栄」と「一体」なる御友の受肉の御からだなり。「/」は御友と「原インマヌヌエル」の一体性表すなり。御友は、(1)在世中は、一般的に「原受肉上の人」として生き給ひしが、(2)同時に不可分に、特別に、「御友/底」なる、「原インマヌエル」「原栄」と一体の飛翔の人、復活体としてあり給ふなり。恩師滝沢のイエス観は(1)一般的「ただの人」の理解を強調せるも、(2)「飛翔の人」観はなきなり)



今朝も晴れ渡った穏やかな日和です。今年もあと二日・・・

ご近所の方からお餅をいただいたので、今日のお昼は、餅つきをしたつもりで、この餅を頂きましょう。

若いころはいつも暮れになると母のいる田舎に帰って、大きなうすを出して餅つきをしました。

この地元でもよく、子供会の餅つき大会があって、いつも鉢巻をしてわたしも奮闘した若いころの、楽しい日々を思い起こします。

上の写真は、昨日の午前中のぶらり散歩で撮ったものです。

散歩道は大体決まっていて、カメラを向けるものもほぼ同じものばかりですが…

このところ毎日、東京の松沢教会と東駒形教会の古い記録を読んで楽しんでいます。

明治の終り頃から神戸で働いていた賀川豊彦が、大正12年9月1日の関東大震災の救援のために、神戸の仲間たちと共に東京に移り住んで、神戸で実験したものを、東京でも新展開を見せていった豊かなドキュメントはとても面白く貴重です。

ところで、昨夕は来客もあって、ご近所の食事処でゆっくりと・・・

銘酒「鳥飼」を一献・・・・。お店の新装お祝いで・・・