延原時行歌集「命輝く」(第2623回)(冬桜)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。
12月29日
幼子やの歌八首
一 幼子やいと安らかに眠りたまふインマヌエルの原受肉上
(備考:受肉の君幼子や、「ロゴス神と共」(『ヨハネ』1・1・第二項)もし「世の根底」「太初のロゴス」(『ヨハネ』1・1・第一項)に原受肉なくば、異郷に赴きたるまま、平安や無し。安らかに眠りたまふは、原受肉証しす)
二 かくてこそ幼子「しるし」麗しや高き神まず此処にいませば
(備考:これ、『ルカ』2・12-14の伝へんとする降誕のメッセージなり)
三 よく見れば薺花咲く垣根かなインマヌエルの原受肉そも
(備考:インマヌエルの原受肉、全地に遍満たり。これ、そもそも、芭蕉俳諧の成立根拠なり)
四 ロゴス神共にますまま此処にます世の秘密ぞやイマヌエル
(備考:これ、ホワイトヘッド”God is in the world.” [Dialogues, 366]にて言はんとせしと主旨同一なり)
五 恩師はやインマヌエルの原受肉「原事実」呼ぶ此処始原かや
(備考:滝沢神人学の難点、此処世界の根底から始まるにあり。「ロゴス神と共に在りき」(pros ton theon)から始まらぬこと、不備なり。このこと、飛翔無き事を結果するなり。なんとなれば、飛翔とは原栄(もとさかえ)への帰還なればなり)
六 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
(備考:復唱)
七 やがて耶蘇成人なりて呼び給ふ「友よ」父より聴きし皆告ぐ
(備考:これ我言ふ「御友神学」の本旨なり)
八 重荷をば負ふもの来れ我汝を軽くせん哉共飛翔にて
(備考:これ、『マタイ』11・28-30の「御友の招き」のメッセージなり。「共飛翔」なくば、キリスト教の本旨なし。キリスト教地上的「単なる望み」(『第一コリント』15・19)の宗教に非ず、従ひて、社会運動教に終るものに非ず。その点、納得無き場合、深き絶望あり)
日の当たる六甲山です。
昨日は雑誌掲載予定の拙稿「杉之原寿一の部落問題の総合的研究」の校正をしていたこともあってか、夢の中に杉之原先生と一緒に食事をしている場面があって、なんだかうれしい朝です。
京都も神戸も雪が降ったというニュースが流れていますが、まだいちどもみぞれも小雪もお目にかかりません。年末年始も穏やかな日和のようです。
本日の写真も、昨日の市場への行き帰りの『ぶらり散歩』で撮ったものを並べます。
また大震災の記念日が近づいていますが、あの日の猛火にも耐えて生き延びてきた楠木のある公園の近くにある「冬の桜」は、まだまだ咲き続けています。
いつものように、さらにねこちゃんと花々を・・・