延原時行歌集「命輝く」(第2591回)(ぶらり散歩ーまたまた冬のさくら見物)

             
  延原時行歌集「命輝く」(第2591回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    11月17日

           つらつらとの歌八首

 一 つらつらと一書校正眺めみて新しき歌突出嬉し
 二 創作用そも究極事性(さが)成すや無自性なるに大悲事(じ)に寄す
   (備考:復唱。この一首の真意ホ氏冒険論に同じなり:”In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention.” [AI, 295]ここで少しく我が歌の内容を解説するならば、(1)まず、「創作用」と言ふ切出し、「Creativity の神秘」の一面”Creativity is without a character of its own” [PR, 31] を表すなり。その意味するところは、Creative-activityなり。この点、仏教的空が「空は空自らを空ず」と言はれる場合とパラレルなり。(2)次に、にもかかわらず、「創作用」は、ホワイトヘッドによれば、“Creativity is the universal of universals characterizing ultimate matter of fact.2 [PR, 21]なる他の面あり。これ、「創造性」と邦訳すべし。(3)創作用が何故創造性なるか、が「Creativityの神秘」なり。Creativityを一貫して本邦の学会では「創造性」と訳すところを見れば、これが「創(造)作用」の冒険の結果なることを論者が未だ認識せざる事実を暴露するものなり。(4)「Creativityの神秘」を含んだ上にて、ホ氏は先に引用した[AI, 295]にて、冒険論を展開なすなり。つまり、冒険論は、「Creativityの神秘」の言ひ換へなるなり。(5)即ち、「冒険が実在を( ともあらはれ:its Unity of Appearanceへと)変転なす」と言はれる場合、ここに含意されるものは、「究極的実在」の創作用への改悛なり。改悛と言ふは、《transmutes》は、元々、宗教改革マルティン・ルターがその宗教改革の始め用いた基本語「メタノイア」のラテン語訳「transmutatio」を形而上学の中で豊かに使用するホワイトヘッドの意思を示す故なり。(6)かくなすことにより、ホワイトヘッドは、実在の「ともあらはれ:its Unity of Appearance」(共同復活)への変転を、実は、「元の状態への復帰」、即ち「形而上学的改悛」なることを示せるなり。要するに、[PR, 31+ 21]と[AI, 295]とは深く関連なせるなり。「Creativity の神秘」を問題提起せし後、それの解決を「冒険論」にて明示したるなり。これだけのことを含意したる上にて、我がこの一首を詠ひたるなり。「大悲事に寄す」と言ふ「創造作用」「冒険」は、仏教の場合には、「法性法身」からの「方便法身」の産み出しの事なり)
 三 ホ氏の言ふ神人共創麗しや大悲承けてや応ふるの業
 四 それ故にホ氏「ともづくり」(CO-CREATION)一節に我や結ばむ「我が羊飼へ」
   (備考:Dialogues of ANW, 366 +『ヨハネ』21・15-17、熟読参照)
 五 御友のや尊き命法何ならむ「愛せよ」と言ふ一事ほか実に
   (備考:『ヨハネ』15・12-14、熟読参照)
 六 而してや愛するとはぞ何なるや人甦り祝すことほか
 七 生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ
   (備考:復唱)
 八 これまさに御友道こそそれなるよ友と呼びてや御国に招く
   (備考:『マタイ』11・28=『ヨハネ』17・24、熟読参照)
  




日曜日の今日は、一日中雨の予報で、朝から深い霧に包まれています。

本日の写真は、ぶらり散歩で、またまた「冬のさくら見物」に足を運んで撮ったものです。青い空を背景にした桜たちにカメラを当てていると、通りすがりの方々が、立ち止まって、一緒にさくら見物をされたりして・・・。



桜の花の近くに、美しい花が咲いているのを見つけました。

この花の名前は、なんでしょう? (皇帝ダリア?)



終りに、住宅の中庭のもみじを・・・



もう一枚、おまけです。

どうぞ、よい日曜日を!!