延原時行歌集「命輝く」(第2559回)(私たちの住宅の花壇とまだまだ美しい「秋の桜」)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。
先生の「ともあらわれの形而上学」の喜びの歌が続きます。
10月25日
御友歌「皆」の歌十首
一 我が歌の「皆」なることや人方も何時の日にかや読み取られむも
(備考:皆=人の成し得る宇宙奉仕なり)
二 「皆」と言ふ言の葉妻や命際謝して用ふや思ひ溢るも
三 最高に幸せなると命際妻謝せし故「何でや」と我
四 妻答ふ「皆やって呉れる」ひとことぞそこに出でしや「皆」の提言
五 我がぞや我妻のため成せし「皆」切れ目なき笑み詠む御友歌
(備考:我が妻のために成せし「皆」つらつら思ふに、是、あれこれの介護介助越えて、「切れ目なき笑み詠む」御友歌なり。なんとなれば、是、妻の命際の「皆含む皆」、なればなり。しからざれば、真に「皆」には非ざるなり)
六 これやこそ誠「皆」なり我がぞや笑む妻贈る宇宙奉仕ぞ
七 この宇宙生死一体これこそや切れ目なき笑み称へ仰げば
(備考:生死一体=岸辺の御友なり)
八 天地の事(じ)因果決すか神意かや切れ目なき笑み御友「皆」とす
(備考:天地の事(じ)=天にだけあらず、さりとて今生だけに非ず、天地なる広大宇宙に在る「事」(一々の存在者、現象)なり。我妻の切れ目なき笑み、天地の事をば、御友を「皆」「一切」と成すところに笑み切りたり。それをそれとして見極め称へる所に、我が「皆」の歌御友歌あるなり。これ、我が最新境地なり。見られよ。地の事だけを思ひ、人が死するを、地の事(因果)が尽きたると断ずるもの、而して天の事(神意)を一切見ぬもの、かかる人に取りて「逝去」あるなり。ここには、人バラバラに死して、生死に一切「一」なきなり。それ故、かかる人に取りては、そもそも「天地の事」なきなり。切れ目なき笑み御友「皆」となす、是、命「天地の事」となすなり。
九 創作用そも究極事性(さが)成すや無自性なるに大悲事(じ)に寄す
十 大悲ぞや事に寄せ給ふ理や御友神学形而上学
(備考:創作用そも究極事性(さが)成すや=(Creativityの神秘に立脚せる)形而上学なり。無自性なるに大悲事(じ)に寄す=(原栄を父に輝かせ給へと熱祷なさる)御友神学なり。形而上学+御友神学=復活形而上学(ともあらはれ形而上学)なり)
急に冷え込んできました。厚手の布団が要るようになりました。
上の写真は、昨日の私たちの住宅の花壇です。
昨日午後は、いつもこの花壇を見てくれているお隣の小学校の子供たちと先生が、「まちの人たちと語り合う総合学習」という授業の一環で、我が家にも見えて、いろんな質問をうけたりして、楽しいひと時を過ごしました。
本日の写真はまた、近くの公園の「秋の桜」です。
まず「月をバックにした秋の桜」です。
うまく撮れていませんが、真昼の月も奇麗でした。
では、今朝も御一緒に「秋の桜見物」をいたしましょう。
終りに、ぶらり散歩の写真を、ねこちゃんとともに・・・。
そうでう、リュウキュウアサガオに一匹の大きな蝶が止まっていました。