延原時行歌集「命輝く」(第2538回)(秋の桜と雀たち)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2538回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

素敵な素敵な歌ですね!


    10月3日

    この朝も喜悦の歌二十三首――三極形而上学復唱追記

 一 この朝も喜悦滾るや我が胸底その理三極詠ひし嬉し
   (備考:10月2日付「三極形而上学の歌」参照)
 二 人問ふや汝が連れ合ひや逝去せし寂しさと共喜悦有りとや
   (備考:この問聊か不審の趣あるも、興味津々の如くもあり)
 三 世を覆ふ逝去の調べ一滴も復活歓喜無きぞ何故
   (備考:これ我が基教一般の風潮への反問なり)
 四 不思議なる物見しとでも言ひたげに「喜悦有りとや」人あり尋ぬ
   (備考:我が喜悦基教一般には「不思議」の如し)
 五 我妻や生涯の果て切れ目なき笑み零るるや偉業やこれぞ
   (備考:復唱)
 六 世の仕事幾万あるも敵はぬや切れ目なき笑み御友の香り
   (備考:復唱)
 七 天地の切れ目なき故何なるや御友臨在笑み崇む妻
   (備考:復唱。ホ氏も言へり:”We perish AND are immortal.” [PR, 351, 82]このAND御友なり)
 八 汝死なば即刻御友汝運び天父に至るこれANDなり
 九 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)
 十 逝去論実在妙用先ずや無し而して動因御友知らずや
   (備考:一般基教の復活欠如二原因あり:①実在妙用の覚り無し;②動因御友神学や欠如す)
 十一 創作用元々己が性(さが)無きも実在のぞや性ならむとす
     (備考:これホ氏の実在妙用論なり[PR, 31, 21]:①Creativity is without a character of its own; ②Creativity is the universal of universals characterizing ultimate matter of fact.実在妙用論、仏教の龍樹「空は空自らを空ずる」に通ず)
 十二 究極事「原決定の原生起」二極なり動因要す
   (備考:復唱。滝沢克己『あなたはどこにいるのか』102頁、参照。これ実在妙用論なるも、動因明示ならず)
 十三 冒険や御友究極実在に創作用のぞ発動欣求
   (備考:復唱。ホワイトヘッド復活三極構造論なり:①冒険=御友欣求;②実在;③創作用発動。[AI, 295])
 十四 御友イェス父に祈りて原栄輝かしめよ三極如実
   (備考:これイエス哲学の極致なり。『ヨハネ』17・5、熟読参照:①御友父に祈りて;②原栄;③輝かしむる=創作用)
 十五 三極の形而上学発動す御友共にて御父へ飛翔
   (備考:これ我が御友神学の省察核心なり:①御友共にて(動因);②御父へ(実在);③飛翔(妙用)の三極なり)
 十六 基教にぞ復活信仰萎へたるや形而上学学びなき故
 十七 社会のぞ救済教に堕したるや己が救済復活知らずも
 十八 誠にやかかる基教ぞパウロ述ぶこの世に有るの「単なる望み」
    (備考:『第一コリント』15・19、熟読参照)
 十九 先生と崇めらる内己らや心空っぽ昇天や無し
 二十 それ故に遂にや牧師顔やめて一声叫べ御神様と
 二十一 我にとり一声げにも歌なるやこの歌御友共ます嬉し
 二十二 単なるの望み超ゆるに二法あり形而上学御友神学
   (備考:形而上学「実在妙用」教へ、御友神学その動因示すなり)
 二十三 かく詠ひ喜悦益々滾りてや身もや心も飛び上がらむも
   (備考:なあ、ノーちゃん。そう、父さん、嬉しい嬉しい。喜び天上天下二人三脚やな。まさにね)







私たちの「さんさん花の会」の「さんさん花壇」です。週末には「市民花壇」のコンクールで「特別賞」を受賞のために、神戸総合運動公園での授賞式に会の皆さんと共に出かけてきます。

先日ちょっと面白いことがりました。地元の診療所の皆さんが古い写真の整理をしておられたら、ボクの20代の白黒写真を見つけた、といって手渡していただきまいた。

はじめ、いまのボクとは結び付かなかったらしく、みなさんひとしきり、お話が弾んだそうです。

ここでUPしたいところですが・・・自分で言うのもヘンですが、それはそれは、すらっとしてさわやかな笑顔で・・・、診療所のあつまりで話していました。多分これは「老人の医療費無料化」の取り組みの集まりだったのでしょうか・・・

それにしても、人の姿も大変貌するものです。

今この写真を、幼いころに父母と撮られた写真と共に、デスクに飾っております。写真は、いいものですね。


ところで、本日の写真は、市場への買い物を兼ねた「ぶらり散歩」で、またまた近くの公園の一本の桜の樹を見ておきました。

むかし、岩田健三郎さんからもらったお葉書に「悲しい時は悲しいというてみる。嬉しい時は黙っとく」ということばが、彼独特の味わい深い文字で書かれていて、時々思い出しますが、誰も見ようとされない今年の「秋の桜」は、やはり独り占めするわけにはまいりません。

公園の遊具の上にのぼって、桜見物をいたしました。見ていると、スズメたちがやってきたりして・・・・。



公園には、毎日散歩に来られる人や、施設の方たちの散歩場所としてもよく利用されています。

スズメたちも人気の場所のようで、水たまりのあるときは水浴びに、いまは雑草をおいしそうに食べています。



終りに、この公園の樹や花たちを数枚。