延原時行歌集「命輝く」(第2508回)(今朝の「はなおくら」、そして昨日のぶらり散歩)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2508回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。


    9月3日

          エコロジー根源の歌十首

 一 日に三度友垣のため我祈る往きし人方笑むや胸打つ
 二 この世のやエコロジーのみ思はばや知らぬ間に人根源やなし
 三 我妻や切れ目なき笑み零るるも御友と共に根源飛翔
 四 根源や神エコゾイクス深甚ぞ「空神至誠至誠なれや」と
 五 さもなくば世のエコロジー知らぬ間にトートロジーの饒舌と化す
   (備考:世のエコロジートートロジー」なるは何故ぞ。「エコロジーは何故重要なるか。無論、それエコロジーなる故なり」と論者答ふや。世のエコロジー神エコゾイックス(エコ生命学)により超脱されぬ限り、エコロジートートロジー(同義反復)のほか何物にも非ず。これ我が英文稿”Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics,” Open Theology 2015 ; 1: 494-511.の結論なり)
 六 この世のやエコロジーとは誠にや自然崇拝ほかならぬなり
   (備考:哲学的には、汎神論Pantheismなり)
 七 エコロジー根源飛翔ありてこそ神エコゾイクス成ると我言ふ
   (備考:哲学的には、万有在神論Panentheismなり)
 八 この論旨佛基対話の深みより空神至誠顧慮ありてこそ
   (備考:20世紀後半に澎湃として生起せる地球規模の大運動「宗教間対話、殊に佛基対話」の中心問題「二究極者の問題:神と空」を我エコロジカルに再解釈し《「空神至誠至誠なれ」、空のエコ(場)在りてこそ之に神至誠にいます故に却って宇宙に「汝至誠なれ」との命法出づる逆説あり》と述ぶるなり。この逆説観ることなしにエコロジーに説得的理法あるなし。この道理我英文稿、Chapter 12 "The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity” in: Roland Faber and Santiago Slabodsky, eds., Living Traditions and Universal Conviviality: Prospects and Challenges for Peace in Multireligious Communities (Lanham/Boulder/New York/London: Lexingston Books, 2016)にて提起したるなり)
 九 すべからく学なるものや根源の笑みありてこそ成るぞ我知る
 十 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱。笑み=Pentecostal vision/eventなり)






今朝、ベランダに咲いた一輪の「はなおくら」の花です。例年、美しく咲くのですが、今年は暑さもあって、元気がありませんでした。とても奇麗です。



新しく植え替えをした「トレニア」の花に、朝夕たっぷりと水を注いで、うまく根付いたようです。

上は私たちの「さんさん花壇」ですが、昨日午前、もういちどブドウのある近くの公園までぶらり散歩をしてkました。

この公園も「トレニア」の植え替えを済ませ、ここでは別の花たちも加えて、花壇を整えておられました。

そして「持ち帰って冷蔵庫で冷やして召し上がれ」という張り紙に甘えて、なんとなんと三度目のブドウ狩りをさせてもらいました。

今回は、マスカットのようなブドウの実をふた房・・・・。まだまだありますが、今年はこれでおしまい。

さっそく、冷蔵庫で冷やして、もぎたてのブドウをいただきました。ありがとうございました。




終りに、スズメたちと紅白の百日紅の花、そしてねこちゃんたちと・・・。