延原時行歌集「命輝く」(第2494回(三日間のお休みメモ―第三日目:名湯「三朝温泉」朝の散歩、わが母教会「倉吉教会」訪問)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。
8月20日
復活本嬉しやの歌十首
一 我妻の絶後笑み増し詠ひてや岸辺の御友称ふ嬉しや
二 「復活の省察」本を詠ひつつ書きし我こそ甦りたり
三 この書がや復活証言成せる事類稀なり言ふ人やあり
四 聖書(みふみ)にやなべてより我復活を愛すやと問ふ御友尊き
五 復活の御友親しく我妻と詠ひて成れる我が書嬉しや
六 世紀のや誤訳正せる我が書こそ御友と活くる我が命なり
七 何故に「この人たちの為すよりも我愛するか」などと訳すや
(備考:『ヨハネ』21・15の聖書協会訳・新共同訳を見よ。世紀の誤訳、世紀の汚点なり。これ、復活信仰の日ノ本に未だなき事示す公の徴なり。如何に恥ずべき!かくて復活、結局、日の本にては、一つの「斬新思想」にすぎず、命に非ず)
八 何故に「一切よりも我愛するか」訳して行かぬ直截の道
(備考:私訳なり:『復活の省察』31、35−36頁、熟読参照)
九 人よ知れ日ノ本の国未だ無し復活の信恥辱不実ぞ
十 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
(備考:復唱。「深き低み」恩師の原事実表す概念なり。されど、人滅するとき、この概念も滅するなり。滅するも、滅する一切の底に命あり。飛翔復活の命、御友なり。嬉しや。なあ、ノーちゃん。そう、父さん、嬉しい嬉しい。我や知る、「深き低み」「原事実」人を救う事非ず。その底天父へと一切を包み飛翔、復活、御運びある故に、御友の救済成就なせるなり。なあ、ノーちゃん。そう、父さん、嬉しい嬉しい)
前日の中学時代の同級会(喜寿を祝う会)は食事を囲んだ懇親の時と、時を忘れて深夜までの尽きることのない語らいと・・・
翌朝は一番風呂に浸かって朝の散歩・・・三朝には「旅館大橋」「万翆桜」「岩崎」「斎木旅館」などありますが、このときは雨も上がって、三本の橋を渡って、ひとまわり・・・・。
有名な「三朝小唄」は野口雨情のものですが、橋のふもとに記念の像が建ち、すぐそこから芝居小屋などありますが、朝は静かな街並みです。美しい花を育てておられる御家もあって・・・撮影順に並べます。
お宿に戻って、みなで朝食をいただき、名残を惜しんでゆっくりと珈琲など飲んで、三年後の集いを約して、9時過ぎに三々五々現地解散に・・・
帰りも友人の自動車で倉吉まで帰り、高校生の時に大きな影響を受けた「倉吉教会」に立ち寄りました。
羽衣伝説のある打吹山のふところに百数十年の歴史を刻んだ倉吉教会があります。いまは昔の面影はなくなり、立派な三階建ての教会に建て替わっていますが、うまく牧師さんも在宅中で、お話を伺うこともできました。
此処からタクシーで倉吉駅まで行き、お昼のスーパーはくとで、帰路につきました。