延原時行歌集「命輝く」(第2479回)(猛暑の中のぶらり散歩――公園のベンチで)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2479回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。


    8月3日

          英共著つらつら眺むの歌十首

 一 英共著つらつら眺むうちにぞや『Conviviality』ぞ傑作と知る
   (備考:アマゾン経由にて取り寄せたる我らが英文共著:Living Traditions and Universal Conviviality: Prospects and Challenges for Peace in Multireligious Communities, edited by Roland Faber and Santiago Slabodsky (Lanham, Boulder, New York, London: Lexington Boks, 2016) Chapter 12 by Tokiyuki Nobuhara: “The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity”なり)
 二 この時代地球の友とこの共著上梓せる幸誠摂理ぞ
 三 拙稿や二究極者ぞ窮むうち神エコゾイクス提言やなす
   (備考:「エコ生命学」成る秘密、空をエコとや御神が踏みしめ給ふ事により、「汝至誠なれ」との命法出づる、宇宙のダイナミックスにぞ在るなり。これ宗教間対話を20世紀の遺産として学びたるうえでの、21世紀の最先端思想エコロジー(より正しくは、トマス・ベリーの時代思想「Ecozoic Era」を延原時行が形而上学思想へと転化したる「Divine Ecozoics=神エコゾイックス、神エコ生命学」)なり)
 四 現今の神体論を越へて我神フィールドを明示したるや
   (備考:Sallie McFague, The Body of God: An Ecology of God (Minneapolis: Fortress Press, 1993)、20世紀の代表的エコロジー神学、を完膚なきまでに「空のエコへの神の至誠心の神学とそこから湧出する《至誠なれ》との命法」により論破せる、此度の我が論考は、元々、「神体論=世界エコ」より出発せず、「神フィールド=空なるエコ」より出発せる、至誠心の形而上学なり。これに反して、マクフェイグの「神体論」は、言はば、宇宙的ヒューマニズムによる神アナロジー論なり。そこに最深の至誠心なし。現今のテロと空爆と恣意的領土海洋の奪取の動きは、世俗的「神体論」(マクフェイグのは神学的神体論なるも)に淵源するなり)
 五 此処にぞや西田博士の偉業をば我顕彰すげに謹みて
 六 偉大なり絶対無のぞ場所思想エコと言ふならそこから始む
 七 我らもし神の御からだなりとせばこの始がぞ不遜なり
 八 絶対無Divine field成してこそ現世初めて成るや理(ことわり)
 九 天の父全き如く汝らも全かれとぞ御友言ひけり
   (備考:『マタイ』5・48、熟読参照。これ御友の尊き命法なり。これに勝る命法なし。原爆投下を命法に擬するなど、20世紀のキリスト教の堕落なりき。オバマ氏の広島平和スピーチ抱擁、この堕落「人類のコア矛盾」として懺悔せしなり)
 十 至誠なれこの命法や御友告ぐかくて平安平和生むなり
   (備考:平安とは、絶対無のDivine fieldに対することなり。平和とは、そこから翻って地上にWorld-loyalty(Whitehead)を貫徹なすことなり。事の順序を誤るべからず)






昨日も暑い一日でした。今年もお盆が近づいて、樹々の剪定や雑草の刈り取り作業が、この炎天下、毎日続けられています。上の写真は、11階から眺める中庭です。

この暑さの中でも、午前と午後のぶらり散歩は休みませんが、昨日もぶらり散歩にお出かけしたものの、・・・・やはり、途中で公園の屋根のあるベンチに座り込んで・・・・。

この暑さのせいか、セミたちの鳴き声も小さく‥‥しばらく、ベンチでぼんやりと・・・すると、いつものように、スズメたちが、すぐ足元に寄ってきて・・・。

スズメたちとしばらく遊んだ後に、ここでお散歩を中断して、きびすをかえして・・・・。

小学校の白い百日紅の花を見上げて・・・最後に、いつものねこちゃんの昼寝の後姿を一枚撮って・・・・。

今日も朝から猛暑です。みなさまもお大切に!!