延原時行歌集「命輝く」(第2465回)(須磨海水浴場へ)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2465回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。


    7月20日

          言ふことやなしの歌十首

 一 生涯の時々を我詠ひてや天地の前に出だす嬉しも
 二 我が母も妻も往かむとせる時や御国の光享けて笑みたり
 三 今生を共に歩みし我ならば言ふことやなしこれ程の幸
 四 歌詠ふことほどのぞや礼節やあるなしと我思ひ謝するや
 五 いままでに詠ひし作を収めたる一々の書や光沢や増す
 六 なにゆえか重ねし月日磨きてや一々の書や凛とせる哉
 七 直ぐにぞや売れむ哉とや思はずも天地の前に磨き尊し
 八 かく思ひおりし折なり西田論心にしかと甦りけり
   (備考:拙稿「西田における哲学と宗教――ハーツホーン、滝沢、トマスとの対話のなかで」『西田哲学年報』第5号、平成20年7月、45−62頁、参照)
 九 純粋の経験よりぞ翻り創造作用説きしや流石
   (備考:これ我が西田論の粋を言ひ表せるや。結語以下の如し:「結語:西田哲学の全体観――創造作用の形而上学
 今、全体を振り返って見れば、西田哲学の全体性「純粋経験――自覚――場所」(A—B—C連関)の中で、(A)純粋経験の絶対の背後に「絶対自由の意思――翻って己自身を見る――無限なる世界の創造的発展」(a—b—c)が窺われ、(B)自覚の絶対の背後に「自己成立の根源――神又は佛の呼声――宗教的自覚」(d—e—f)が悟られ、(C)絶対者の再構想の焦点に「絶対無――絶対――絶対有」(g—h—i)が浮かび上がってくる。(B)自覚と(C)絶対者とは、ここまでの考察において詳しく見たように、等根源的組成をなすのであるから、「逆対応」の神哲学的ヴィジョンが両者を統一する。それを足掛かりにして、西田は、仏教的弁証論を彼独自のPanentheismusとして構築したのであった。
 では、こうした西田哲学の最終的全体観を統一的にどのように把握すればよいのであろうか。私は先ず、彼の根源把握が、「自己成立の根源かつ絶対無」からなる「絶対矛盾的自己同一の世界」(ここで世界と言うのは、通常の意味ではなく、究極的実在の意味であろう)の言表に至っていることに注目したい。次に、自覚の絶対契機と言うか、「神又は佛の呼声」ないし(絶対者の場合だと)「絶対無に対する姿」(至誠心)が焦点をなしていることに注目せざるを得ない。「自己自身の中に形而上学的世界(自己矛盾的同一の世界)が自己を表現する」ことが焦点の活動である。第三に、我々の宗教的自覚にしても、神の絶対有への翻り(神は世界に於いてある)にしても、新しいものの形成に向かうものだ。
 これらの三段階をすべて網羅して動かしてゆくものが、遂に、創造作用として明らかにされている。曰く、「創造作用ということは、(A)多と一との矛盾的自己同一的世界が、(B)自己自身の中に自己を表現し、(C)何処までも無基底的に、作られたものから作るものへと、無限に自己自身を形成して行くと云うことに他ならない」(XI:400)。ここに、西田哲学の初心「私は(A)純粋経験を(B)唯一の実在として(C)すべてを説明して見たい」が創造作用の形而上学の立場から、完成されているのを見る。日本の敗戦も間近な昭和二十年の初夏、西田幾多郎は、これだけの事を完成して逝った。何と言う大きな達成であろうか。その巨大さ、その未来性、その強靭さに、私はただただ驚くのである。純粋経験の哲学は、創造作用の形而上学として完成したのである。」(59頁)この一文を草した時の感動を我忘れず。純粋経験の哲学が
、死の自覚を潜って、涅槃即ち「平安」に達し、其処から翻って創造作用として「平和の形成」に至る、これ西田の哲学の全体像なり。敗戦の真っただ中にて彼このヴィジョン持ちて逝きぬ。今,オバマ米大統領の広島平和スピーチと抱擁の絵解きなすもの、長く論じまた詠ひ来たりし「平和基礎学としてのホワイトヘッド平安哲学」と共に「西田の、純粋経験の哲学、死の自覚を契機に翻りし、創造作用の平和哲学」なるや、我が主張なり)
 十 敗戦の只中にてや表せる博士大業ホ氏に酷似す
   (備考:疑ふ人あらば、以下のホ氏『観念の冒険』最終の言葉心して参照すべし:”At the heart of the nature of things, there are always the dream of youth and the harvest of tragedy. The Adventure of the Universe starts with the dream and reaps tragic Beauty. This is the secret of the union of Zest with Peace: -- That the suffering attains its end in a Harmony of Harmonies. The immediate experience (純粋経験と読め) of this Final Fact, with its union of Youth and Tragedy, is the sense of Peace. In this way the World receives its persuasion towards perfections (創造作用即平和と読め)as are possible for its diverse individual occasions.” [IA, 296]両巨人の酷似、オバマスピーチ抱擁を抱擁なすなり。如何に尊き)






昨日は、梅雨明け二日目、カンカン照りの中を、ひとっ走り、自転車に乗って「須磨海水浴場」まで・・・・。

「ぎっくり腰」の完治も間近か、朝の仕事も快調に進み、気分も晴れやかに、「須磨の海」を眺めてきました。

先日の「海開き」のあと、まだ海水浴客はまばらですが、多くの海の家が並び、国際色豊かに若者たちが、ひろい砂浜で、夏を満喫していました。


自転車では、片道30分足らず、最適のサイクリングコースです。


三日がかりでパソコンの調整を済ませましたので、本日も、仕事を一歩、先に進めてまいります。


今回も、撮影の順番に並べます。