延原時行歌集「命輝く」(第2463回)(セミの大合唱・サボテンの花10個・そして「さんさん花壇」)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2463回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。


    7月18日

             歌人の歌十五首

 一 天地の音信録さむ今日の日もこれ歌人の仕事なりけり
 二 ホ氏哲理経験一切説明す我在るなべて示すや歌ぞ
   (備考:経験の一切を説明せむとするホワイトヘッド哲学、経験の一切を詠はむとせる和歌といと酷似せるとは、我が確信なり)
 三 御友歌詠ひてこそや日ノ本に基教和讃を我や伝へむ
 四 親鸞が弥陀を称へし和讃こそ御友の歌や通ふ道なり
 五 今日の日も歌打ち込みて献ぐこそ御友和讃の道尊けれ
 六 我が仕事御友和讃の歌にあり意気阻喪する暇やなきこそ
 七 御友歌地球を覆ふ妄想の猛々しきを「友よ」と宥む
 八 それはしも超越次元発すとも地の果てまでも「友よ」と呼ぶや
   (備考:『ヨハネ』15・15、熟読参照)
 九 如何なるの不可逆神も恐るべし空爆テロと審判過酷
 十 何故に「神性・父」の至誠心見ざるやとぞ御友のたまふ
   (備考:『マタイ』5・48、熟読参照)
 十一 宗教や絶対言ふも否定せよ冒険なしに何の救ひぞ
   (備考:常に引くホ氏の言葉右の如くなり:”In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention.” [AI, 296]冒険とは、固定的絶対神の自己否定にして、それありてこそ世界の無視されたる一々の物の注目要請受け容るるの冒険、即ち、神の御友における復活と被造物の復活の「同時あらはれ」《its Unity of Appearance》あるなり。神の子イエスの復活だけを言ひ募る神学、片手落ちなり。かかる見方採用為しながら、御友の「我が羊飼へ」との御言葉の真意覚る事不可能なり。なんとなれば、これ主と我らとの「復活共同体」の中にてこそ意味発揮すべき御声なればなり。人に「あれやるな」「これやれ」と禁止命令を突きつけるのみの「神性・神」には御自らの内に「形而上学的究極者」≪空・三位一体的神性・Esse》への「宗教的究極者」《神・父・阿弥陀仏アッラー》の至誠心を認むる誠意なし。我この誠意御友に発見せり。故に、御友「汝らも至誠なれ」との招喚なさるなり。ここに、「天にまします我らの父[神性・父]よ」、「願はくは、御名[父の命名・子の受名]を崇めさせ給へ[我らも至誠ならせ給へ]との三段階の至誠心の連携あるなり。それでなくて、如何にして信仰の真の発現あるや。不可逆神の恐るべき厳命(fiat)のみの宗教性には、神の自己否定の冒険なし。従って、人の喜びと感謝の応答としての信仰の発露なし。実はこれこそ、現在の地球規模での「回基対立」の形而上学的根源なり。この問題、従って、軍事的戦略論にて解明なすこと不可能なり。最近、論じられる「中国の国内海洋両面における覇権主義」についても、問題は同様なり。ことにチベット仏教との誠意ある対話は、世界の良識ある人々の深く欣求するところなり。軍事戦略的覇権主義を超えて、原爆投下の悲劇とその犠牲者に(それが何国籍の人であらうと)哀悼の誠を捧ぐ事、これオマバ米大統領と日本人被爆者歴史研究家森重昭氏によって友情の内に為されし「広島共大悲」なり。核体制よりの脱却ここに始まれり。我これを「平安ありて平和なる」と把握なすなり。第一章、参照。ここに、日本国憲法前文における「対等関係」の再定義為されたる事、改憲論者も護憲論者も、新たに見極める謙虚なる度量必要なり。即ち、「対等関係」まず「共大悲」に於いて認むべきなり。それ「平安」なり。ホ氏の言ふ「青春と悲劇の統一」なり、かくしてこそ具体的なる「平和」成就するなり)
 十二 冒険やありてこそなり神と人ともあらはれの復活歓喜
   (備考:「ともあらはれ」=《its Unity of Appearance》なり)
 十三 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)
 十四 汝が笑みや生涯の際溢れてや絶後いや増す御友いませば
   (備考:復唱)
 十五 切れ目なき我妻の笑み告ぐるこそ生死一体いのち祝福
   (備考:復唱)





「海の日」、絶好の海水浴日和です。どうも「梅雨明け」の気配です。

今朝も朝早くからセミたちの大きな鳴き声が響き渡っていますが、昨日は、特別に「セミの大合唱!」 近くの小さな公園で、一斉にセミたちが湧き出て、猛烈な勢いで鳴いていました。

よく見ると、どの樹にもセミたちがとまり、体を震わせて樹液を取り込み、美声を競い合っていました。

上の写真は、その様子です。こういう景色は、はじめて見ました。


話は変わりますが、一昨日と昨日は、コンピュータの送受信の不具合が起こり、マイクロソフト社のサポートをいただきながら回復につとめましたが、明日以降に継続中です。いまのところ、ドキュメントの添付送信が不能だけですので、日常の仕事には支障はないのですが・・・・。


ところで、昨日のぶらり散歩では、ご近所のお宅のサボテンの花が、なんと十個も咲いていました。セミの声に驚いたばかりのその足で、この御宅にきて、びっくりポン! こういうことも、珍しいことです!



上の写真は、お宅の横の軒下に、自転車に隠れて咲いているサボテンの花ですが、次は、お宅の玄関の両側のサボテンの花です。



次は、もう一つの公園に咲く百日紅と市場の近くの広場に咲く野の朝顔です。



最後に、私たちの「さんさん花壇」です。