延原時行歌集「命輝く」(第2454回)(ぶらり散歩ーさんさん花壇など)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2454回)
  
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    7月9日

           歌深みにての歌四首

 一 時代のや深みに住むや歌のすべ我妻絶後笑み増すが如
 二 先達に御文いただき深みにて言の葉交はす命歓び
   (備考:小野寺功先生への我が返書2016年6月20日付なり:「拝復 五月十七日付御芳書誠に有難う存じました。心より厚くお礼申し上げます。いたらぬ拙考に対しまして西田哲学のいう「絶対無に対することによって絶対の有である」という真意の重要性を見る御立場から御評言をいただきまして誠に有難う存じました。
 その後右の拙稿とわが短歌神学日記を併せまして、はしがきを附し、前著『良寛「風の歌」にちなんで――御友神学の省察』の補遺といたしまして『平安ありて平和なる――ホワイトヘッドの平和論とわが短歌神学日記』という様な小著に筆を進めておりました。
 目次、はしがき蕪雑なものでありますが、ここに同封させていただきました。六月の歌と共に御高覧いただきましたならば誠に光栄に存じます。歌では恩師滝沢克己先生の「イエスに縛られない」「御神ご自身の表現点」の御思想に御友神学の香りを感ずるに至り、詠いました。誠に幸いな事に存じます。
 絶対無に対して絶対有に至るを、ホワイトヘッドの平安から平和へという立場に見つつ、漸く核体制を超出する時節到来とつよく感じて居ります。オバマ・スピーチを考察いたしました。今週いっぱいで完成いたしたく愚考いたして居ります。さて、どう相成りますやら。
 いよいよ猛暑の時、御自愛を心より御祈り申し上げます。
 右、御教導に心より謝しつつ
 草々不一
 2016年6月20日  延原時行拝
小野寺 功 先生」
 小野寺 功先生御書簡2016年6月30日付、感謝無尽も!:「お便り有難うございました。今度のご著書が、「平和基礎学としてのホワイトヘッド平安哲学」と「短歌神学日記」から構成されるとのこと、哲学と詩が結びつくという点でも、大いに期待されます。
 それにしても、いち早く「ポスト核時代」の問題を取りあげられたのは、実に先駆的でした。先日の朝日新聞に、珍しく柄谷行人さんが「押し付けられた日本ができる平和の世界革命」と題して、――憲法九条はカントの「永遠平和のために」、またアウグスティヌスの「神の国」にさかのぼる理念にもとづくということが論じられていました。
 カントの著書はよく話題になりますが、私の大学院時代の卒業論文は、アウグスティヌスの「神の国」についてでしたので、いい着眼だと思いました。私は京都学派の歴史哲学をさらに批判的に展開して、こうした問題にも切り込んでいきたいと思っています。
 延原先生の哲学的神学は、「至誠心の神学」もそうですが、時代精神の核心をついていて、大変参考になります。
 「西田哲学から聖霊神学へ」は、小乗キリスト教から大乗キリスト教への転換を図ったものですが、キリスト教の核心はさらに深まったと考えます。聖霊は、すべての人(世界)に働くものですから。
 最晩年の良寛と貞心尼の最後のやりとりには、心底からゆさぶられるものがあります。これは延原先生と奥様との関係にも深くつながるものですね。
 延原先生のライフワークは、これからが本番と考えられます。私もこの年でやっとキリストの御言葉の真実性と絶対性が自覚されるようになって参りました。
 御健康をお祈りしつつ、お礼まで。
 六月三十日   小野寺 功
延原時行様」)
 三 歌とはや言の葉社会現象をただ追ふあらず心詠ふも
 四 時代のや我歌人(うたびと)とならむ哉二元哲学超ゆる御友と
   (備考:二元哲学とは、超越次元(the Necessary Being)と内在次元(the contingent beings)の間に峻厳な対立を見て、両者の間に関係次元(ホワイトヘッドの言ふ《Reciprocal Relation》[PR, 351]を見ぬ種類の哲学なり。例えば、アヴィセナの哲学なり。その結語たるや、”That exists.”なり。これ「アラー、アクバル(神は偉大なり)」との祝詞の哲学的表現ならん。イエスの神に対する祝詞は、周知のごとく、「汝らの天の父が全きがごとく汝らも全かれ」(わが解釈では、「神性に父」至誠なるごとく汝らも至誠なれ)なり。ここに「神性に父」至誠なるを見る御方御友ありて、「汝らも至誠なれ」との命法を与へ給ふ。『マタイ』5・48、熟読参照。この事情を英語で哲学的に表現為すならば、That exists loyally and reciprocally. とならむ。この表現を為すもの宇宙の関係次元なる御友なり。御友「友よ」と我らを呼び、生かすなり。これに反して、That exists.の場合、この断定を為すものは、一切の偶有者の死を宣しつつありーーモスレムも他者も。この宣言は、宗教的にして虐殺的瞬間を産むものなり。恐るべし。恐らく、That exists.の断定が、That exists loyally and reciprocally.へと変転なすとき、イスラムテロリズム静かに至誠心の愛の宗教へと成長せむと我思う。空爆の必要なし。問題は形而上学の変転なり)
 







神戸も朝から大雨、各地に豪雨被害が心配されています。しばらくまだ梅雨はつづきそうです。

昨日は、いまぼちぼちと推敲を続けている新著の草稿を、延原先生にお目通しいただいたところ、適切な評言とともに、嬉しい祝詞をいただき、恐縮しつつ、よろこびに満たされました。ゆっくりと、仕上げてみたいと思っています。

ぎっくり腰の八日目の昨日も、まだそろりそろりと「ぶらり散歩」・・・

「さんさん花壇」の花たちにごあいさつをして・・・(上の写真がそれです)

近くの公園を一回りして・・・・昨日の写真は、ただそれだけでした。