延原時行歌集「命輝く」(第2443回)(ぶらり散歩――少しコースを変えて)

              
  延原時行歌集「命輝く」(2443回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

注目の「壮大や」の(三)です。先生の「大乗キリスト教」の妙、新著『平安ありて平和なる−−ホワイトヘッドの平和論とわが短歌神学日記
 Peace Brings About Earthly PeaceーーWhitehead’s Doctrine of Peace and My Tanka Theology Diary』も愈々脱稿の時を迎えているようです。


    6月28日

    (三)結語の歌――①惑星規模の軍略反省の歌八首

 一 かくて我形而上学なるものの主観原理御友学知る
   (備考:それ前著『良寛「風の歌」にちなんで――御友神学の省察』に始む)
 二 汝らの父神性に誠如誠なれやと御友告ぐなり
   (備考:『マタイ』5・48、熟読参照)
 三 父にぞや聴きしを友よなべて告ぐ御友神学かく始むそも
   (備考:『ヨハネ』15・15、熟読参照)
 三 御友のや命法至純心にや貯へ行けや汝人の子よ
 四 このことや道義超へたる福音よ平安よげに平和の基
   (備考:道義一般に人に訓ずるものなり。福音己が平安として心に受くる喜びなり。前者一般的なる主観原理なるも、なほ厳密を欠く。これ例へば「徳義としての清貧」「絶対客観としてのインマヌエルの原事実の主張」なり。これに反して、改善されたる主観原理我が実存の底の底にあり。即ち、「実存の底」我滅する時滅するも、猶その底在りて我を抱きて天父の御許に運び給ふ。これ救済、御友にある平安なり。御友我を抱きて、父へと運び給ふ故に、我この消息を「大乗キリスト教」と呼称なすなり。ホ氏言へり:”God is the great companion, the fellow-sufferer who understands.” [PR, 351]思ふに、御友慈悲の御方なり。されど、この御方、「理解為す」御方なり。理解為すとは何か。神性・父の御心「理解為す」との意なり。我らに慈悲ある御方のみならば、我ら実は満足無し。この御方「神性・父の御心」理解為す故に、其処から我に慈しみ給へる時、我ら真に救はるるなり。この事知る人ぞ知るなり)
 五 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱。これ不肖我時行の最愛の一首なり。ここに妻信子生けるなり)
 六 げにもぞや核軍略の反省に至りてオバマ平安まみゆ
 七 今の時惑星規模の核軍略突如オバマや悔悟スピーチ
 八 平安やありてこそなり平和ぞや成る理(ことわり)ぞ本書表題






昨日の「ぶらり散歩」は、ちょっとコースを変えて、路地をくねくねとめぐってみたりして・・・・。

おもいがけず出合う花たちも、また新鮮です。「管原公園」というのも記念に一枚・・・・。

立派な「ひまわり」にも見とれてしまいました。

上の写真は、撮影順にならべていますが、次の写真は、その続きです。



終りに、午後の散歩で、市場の帰りに、住宅の庭のねこちゃんと目が合って・・・。