延原時行歌集「命輝く」(第2438回)(美味のドクダミ茶、昨日一日だけのサボテンとムクゲ、そしてねこたちと)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2438回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

若き日の「滝沢克己・延原時行往復書簡」の初公開でもあります。ここでは「滝沢克己書簡」ですが、御両人の間に交わされた神学的・哲学的省察の往復書簡は、あの滝沢急逝の時まで切れ目なく続き、延原先生はこれを「滝沢書簡ゼミ」と名付けてこられました。本日の歌に収められている滝沢書簡は、まさしく「滝沢書簡ゼミ」を彷彿させるものですね。

滝沢先生は生前、田川健三や八木誠一両氏との対話は多くの著作で広く知られていますが、延原先生の手元に大切に保存されているこの「往復書簡」、知る人ぞ知る「お宝」ですが、これらの公開の時も意外と近いのかもしれません。

特にお二人のあいだの「往復書簡」は、延原先生の長期にわたる滞米・滞欧時代のものですが、この期間に頂いた当方(神戸自立学校の学友にあてた)への航空便の膨大な「延原書簡」もすべて手元に残り、すでにテキスト化も終えています。(滝澤先生の鳥飼宛のお手紙はネットでブログ公開させていただいていますが)


    6月23日

           再読すの歌十四首

 一 再読す恩師御文や神性に父treu(至誠)とぞ同次元かな
   (備考:これ、恩師滝沢克己先生ご書簡1983年7月一日夕付:K+Toshi Takizawa, 813 Fukuoka, Higashiku Najima 4-24-10, JapanよりMrs.+ Mr. Tokiyuki Nobuhara, School of Theology at Claremont, Box 112 1325 N. College Ave., Claremont, CA 91711, U.S.A.なり。感謝無尽なり!:

 「拝復 五月のテキサスから、そして昨日のクレアモントからの御芳書有難く拝見いたしました。その間に奥様からの御便りも比佐子の本の小包二つ、御忙しい最中の御骨折り、御親切御礼の申上げやうもございません。比佐子もきっと喜んでゐることでせう。御案じしてゐましたが、おふたりで1400マイル!を無事走破、すでにお住居も決まって、やがて新しい御仕事をお始めの御様子、ほんとうに宜しうございました。これまでの良い御蓄積もあることですし、そのうちにはアメリカかヨーロッパで少し落ちついたポストも廻ってくることでせう。幸ひ御体が頑健で頼もしいことですが、何卒その上にも御自愛、御二人ともいつも御元気に御活躍をお祈りしてゐます。(当方おかげ様で二人とも無事ですが去る六月十一日、奈良の長男徹が嫁に伴はれて突然入院、ちゃうど比佐子の手術の報せのあった日で余計に驚きました。徹は帝塚山に勤めて以来二十八年無欠勤でしたが、この二年程副校長などまでやらされた上に、二三日季節外れの猛暑に炎天でソフトボールのマッチまでしたのが祟ったのでせう。腸閉塞の症状で、佐武郎は覚悟し、手術の用意をして待ってたさうですが、幸ひ、二週間入院、全身の精密検査の結果、もうどこもどうもないさうでホッとしました。五十歳にもなると丈夫に委せての滅茶はだんだん利かなくなるのでせう。)

 ご多忙中、鬱陶しい拙著 御読み下さっての御親切な御言葉深謝してゐます。71〜93頁までは近く藤吉慈海編の『久松真一の宗教と思想』に掲載のつもり――私の主旨は分るやうに思ふので――とのことです。久松禅について八木さんに似た(!)辻村公一さんからの手紙のほかまだどこからも立ち入った批評を聞きません。八木さんは自分の考へを私がひどく歪めて書いてゐると大へん不満のやうですが、そのうち秋月さんと読み合はせをした上でまた書く、との事です。同氏への私の疑問はただ一つの点なのですが、いはゆる「歪め」も、皆そこから出てゐますのでせう。今もその点についての十分明らかな御答へを聞き得ずにゐますが、当分は「只管打坐」流でゆくほかないことでせう。

 今度の御手紙の中の御疑問の点――前便の御返事に書かうとしてゐたことも合はせて、簡単に書いてみます。
(一) 有限の存在者は、絶対無的主体(もしそう名づけるなら「神性」)において、直接に、絶対にコンティンゲントにのみ事実存在する。
こういふものとして物は同時にまた「神性」の表現点である。物による神性の表現が極限にまで進む時、そこに人間が現はれる。したがって人間が正しく、本来自然に生きるとき、その人は「神性」を「父」と呼ぶ。イエスとして生起したこの事は、たんにいはゆる「偶然」でも「歴史的必然」でもなく「神性」の本質に従って現はれてくる出来事である限り、「父(なる神)」は「神性」にloyal (true)だと云って云へないことはない。しかし、その場合、見逃してならないのは、その「父(なる神)」は「神性」そのものと存在論的に同一であって、けっして「父なる神」の奥に「神性」があるのではないといふことです。もしさう考へると、人の側・歴史の中に出て来たものを向ふ側へ移し入れて立てることになりませう。*
 *といふのはしかしむろん、「この世界・人間の内部の事に関しては正しく見られるてゐるけれども」といふ意味ではありません。人間の行為が物の動きの極限的な一種であることが見られてゐない、といふことでもあります。
 (このことは今迄も度々申しましたが。学兄の御答へを伺っても、まだその疑ひは退きません。)(これは前便への御返事です。)

 (二)物も人も「神性」に対して絶対に平等、絶対に被決定的、といふことはその通りです。しかし、存在者と同類の物――entities――として括られる「神」(*西洋の神学哲学ではそこが十分明らかでなかったための、ハイデッガー形而上学・神学排除ですけれども、そのやうな「神」)は、せいぜい、神を信ずる人間、「神」といふ人間の言葉であって、イエスが「アバ」と呼んだ神そのものではありません。

 (三)学兄が「事実的存在(者)もロゴスも絶対無に忠誠である」といはれる時の「ロゴス」は、せいぜい、存在者に(論理的にはそれの一切の表現形態に先立って*)*=仰せの「物に存在論的と価値論的と二つの次元の忠誠がある、前者にまた二様の様態がある、といふことも、私がここに云ったことに含まれて来ることでせう。=)無条件に直属する根源的・普遍的本質規定であって、私のいふ「ロゴス」ではありません。私のいふ「太初の言」は、一々の存在者と共に在る限りの神性そのもの――つまり、神学の用語だと永遠の父と全く等しい永遠の御子、浄土真宗でいふと(キリスト教神学同様真宗にもふつうの伝統的な宗学ではどうにもならなぬ微妙な問題がありますけれども)法性法身と全く同一の久遠実成阿弥陀仏――です。延原さんの「ロゴス」といふのは、物の事実存在と(相補的に)共在する根源的普遍的・本質規定(こういうものとしてそれは「忠誠を促すもの」です)のことでせう。それならばむろんそれは、「事実存在より”前“ではなく」それと「共に」神性において在るものです。/ 人間をはじめこの世界の内部に現はれる「価値」の問題、「信」か「覚」かといふやうなことも――たとえば信も、それ自身同時に有限の物の法性法身=「神性」における絶対被決定性Kontingenzへの覚醒でなくては、真正の信とは云へない――ここをしかと踏まへれば、すべて第二次的・第二義的なこととして自然に明らかになりませう。)

 どうも学兄が見て、そこの区別・関係・順序を明らかに云ひ表はさうとして居られること、厳密に学問的であらうとなさるその御苦心はよく分りますが、私自身も、仰せの諸面を切り棄てて云ってゐるのではない、ただそのやうな諸面を、自己存在の事実そのものに堅くとどまることで、ほんのもう一歩よく見窮めようとしてゐるだけであるやうに思はれるのです。(八木氏の場合は、その肝心要の一点がまだよく見えてゐないのではないか、さうでなければ滝沢は初めから終りまで区別だ、人格的に不可逆の一点に偏ってゐるなどといふ批判が出るはずがない、と思はれるのです。)(又氏では、延原さんのいふ第一次の忠誠、その二重の構造も十分明らかでないやうです。純粋直観の事において思惟が絶えて、新しく生まれる、といってもその思惟の存在論的必然性が身に沁みて来ない、どこか主観的な構築に辷って行ってる感じです。)

 今年の夏は御地もお寒いさうですが、日本も、この梅雨は時々からっと晴れてわり合過ごし易いです。ただ東北は又冷害らしく困ったことです。医療と農業もすべてが変って来なければ、大変なことですね。

 鳥飼さんの御便りでは、延原さん御母上様には、御家まで準備してお帰りをお待ちの御様子、今年もむつかしいといふこと、どんなにかがっかりなさったこととお察ししてゐます。しかし私達は「丈夫でさへゐてくれれば、何年会へなくてもいいのに」と、比佐子のこと何度も話してゐるのです。どうかお二人ともいつも御健やかにお過ごしのやうお祈りしてゐます。家内からもくれぐれ宜しく、さう申してゐます。乱筆、乱文お赦し下さい。草々
                                                        (一九八三年)七月一日夕     滝沢克己
 延原時行様

 追伸   この頃創言社で出した拙著『将棋の哲学』旧稿ばかりでお目にかけるやうなものでもありませんが、副題に「太初に言あいき」とありますし、「序に変えて」は新しく書きましたので前便でお送りします。ご笑納下されば、幸せです。なほ阿部正雄さんにお会いの折はくれぐれ宜しくお伝へ下さい。同氏の正確な宛名お序の折お報せ下さい。一度お便りをと思ひ三一に尋ねてやりますが、一向に知らせて来ませんので。」)

 二 我にとり神性「ロゴス神と共」父「共在」の誠なる極
   (備考:我神性理解する際、厳密に『ヨハネ』1・1・第二項によりたるなり。この記述によれば、ロゴスも父も「共在性」の三位一体の空間の両極なり。これ三位一体的神性なり。神性したがって形而上学的究極者なり。これに対して父もロゴスも、宗教的究極者とみなすは、ホワイトヘッド学派の特徴なり。周知のごとく、三位一体的神性を、恩師の恩師西田幾多郎博士「絶対無の場所」との関係において理解せり。そこに小野寺功先生の長年の研究の達成、「三位一体の於いて在る場所」に結実せり(『西田哲学から聖霊神学へ』参照)。我が独自なる神学、至誠心の神学此処に胚胎せり。至誠心の三原理右の如し:①神は空に至誠なり;②空は空自らを空ず;③神は宇宙に於いて我ら被造物に至誠心を喚起することを得、現に喚起なす御方なり。恩師の純粋神人学の観点は、神ご自身(神性)に御父至誠(treu)なるも、これ同じ存在論の次元上にてとのものなり。第一首に詠ひし如し)
 三 その限り存在論的至誠あり而して御神これ正覚す
   (備考:ここに我が神の定義なりたるなり:すなわち、神も一切存在者も空に存在論的に有無を言はせず至誠なるも、この存在論的至誠を神のみ正覚なし給ふ。ここに自覚論的ないし態度論的次元現出す。その現出を見る事なしに、恩師の論及さるる「神性に神至誠なるや、存在論的次元に於いてなり」との命題に評言くだすことならず。存在論的次元の事を我評定できず。評定為す次元、これ態度論の次元においてなり。而して我が態度論、御友に学ばずして出で来らず)
 四 御神の存在論的至誠をば知りてかく為せ言ふは御友ぞ
   (備考:これ我が「御友神学の省察」なり。至誠心の神学これなくば、認識論立たず。我が御友神学、至誠心の神学の徹底的反省のもとに成りたるなり)
 五 我らもや否応なくや至誠やも決して「共在」覚らず無明
   (備考:ここは仏教論的に「空即縁起」の出ずる局面なり。それ存在論的生起なり。されど我ら覚らず)
 六 「共在」と父次元相違すは自覚問題出でし時なり
 七 何故ならば自覚問題存在論あらずしてそも態度論なり
 八 御父の自覚問題知らしむる御友誠に麗しき哉
   (備考:『マタイ』5・48、『ヨハネ』15・15、熟読参照)
 九 正にぞやこの位相こそ御友言ふ「空神至誠 至誠なれ」とぞ
   (備考:『マタイ』5・48、熟読参照)
 十 御神の自覚問題自覚すは御友なりけり「栄光拝受」
   (備考:『ヨハネ』17・5、24、熟読参照:御友父より栄光拝受、故に御父の栄光=神性自覚=や知る)
 十一 父のぞや「僕に非ず」見し故にこの誠をば「友よ」と告ぐや
   (備考:これ我が今日の発見なり:御友の「栄光拝受」の時御父御友を「僕と遇せず」と徹底認識なし給ふ。この神学びより御友神学発したるなり)
 十二 かくてぞや不可逆恩寵御友はや開示「従順十字架まで」ぞ
   (備考:『ピリピ』2・6−11、熟読参照)
 十三 いかなるや恩師薫陶その香り忝さに心震へり
 十四 御友のや恵みや深し神学びかくも深しや我謝すやこそ
  





この季節、親しい方のご自宅に「ドクダミ」が群生していて、今年はわざわざ乾燥させて出来上がったものをいただきました。

早速昨日「ドクダミ茶」をつくって飲みました。おいしいですね。大好きです。




昨日も「ぶらり散歩」で、一日だけ咲いて散る「サボテン」と「ムクゲ」を見てきました。

サボテンは八つの花をつけていました。、ムクゲは白い方も淡いピンクの方も、たくさんの花をつけて、木の下にはどっさりと落花していて・・・。


昨日も梅雨らしい日和の中、雨の止み間に、ねこたちにも出会ってきました。ねこたちは、いつもきままに、のんびりと昼寝をしています。