延原時行歌集「命輝く」(第2435回)(ぶらり散歩―梅、いちじく、キウイ、ざくろなど)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2435回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

いま話題の『良寛「風の歌」にちなんでー御友神学の省察』(考古堂)に続いて執筆中の注目の書ーー『平安ありて平和なる−ホワイトヘッドの平和論とわが短歌神学日記 Peace Brings About Earthly Peace−Whitehead’s Doctrine of Peace and My Tanka Theology Diary』は、今週中には書き下ろし草稿の完成の勢いです。

待望のこの新著の刊行をうけて、先生にはぜひ久々に神戸にお招きして、ご講演の場を設けさせていただくことを、密かに企画を練っているところです。

先生が1960年代の後半から主宰され開校してこられた「神戸自立学校」の旧知の友らにも呼びかけて、新著の出版のお祝いができれば、いいですね。

その折はまた追ってご案内を差し上げます。公開講演会と言うのがいいと思います。昨日この企画を先生に告げますと、早速先生からは快諾をいただき、その折には本日のこの歌などもレジュメに含めたいとも嬉しいメール便をいただいています。

いいですね!!


    6月20日

            昨日やの歌六

 一 昨日や御友神学反語的祝ひの学や恩師に見しも
 二 何十年飽きもせず読む恩師著に「縛られず」とも縛らぬイエス
   (備考:「それに対して、純粋な神人学は偶然的・一回的に与えられたナザレのイエスもしくは聖書という形態に助けられ導かれはするが、しかし束縛されはしない。むしろ、生ける道標としてのこの形態に導かれて、もっぱら道、真理、太初のロゴスに向かうのであり、バルトと共にいうならインマヌエルの原事実に、永遠に新たな、絶対的に不可分・不可同・不可逆な神と人間の関係に向かうのである」滝沢克己『純粋神人学序説』272頁、熟読参照)
 三 イエスにや縛られぬとぞ意気軒昂恩師鼻息御友にこやか
 四 汝らをもう僕とは言はぬ我友よ父から聴きし聴けやと
   (備考:『ヨハネ』15・15、熟読参照)
 五 これ恩師言ふ御神の「自由なる表現点」の告ぐる言の葉
   (備考:「したがって、神人学はその本来の内容として特殊的・史的な形態を内に持つことはできないし、ゆるされないし、また持とうとはしない。それは神人学が通俗の意味で「抽象的普遍的」に思弁するからなのではない。まったく逆である。神人学があの絶対的に偶然的な、ただ生ける神ご自身によって神ご自身の自由な表現点として規定された人間存在に、かたく結びついているからなのであって、この規定された人間存在を離れては、いかなる特殊的、具体的にして史的な形態も、この世界には現実として存在できないのである」同書同頁、熟読参照)
 六 恩師のや「表現点」を今やこそ「御友神学」提唱なすや
 七 何がぞや楽しと言ふも恩師学新時代のぞ神学に化す
 八 かくしてや御友神学核時代超ゆるこの時飛翔の翼
 九 オバマ氏が同盟さらに友愛と言ひし時生く御友神学
   (備考:”And since that fateful day we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people than we can ever claim through war.” 「あの運命の日からわれわれは希望をもたらす選択もしてきた。米国と日本は同盟関係を築くだけでなく、戦争を通じて得られるものよりもずっと多くのものを国民にもたらす友情を築いた」『新潟日報』2016年5月28日付14面)
 十 振り返り恩師の薫陶謝するこそ我が御友学出立の幸







昨日は、地元の大事な会議があって出かけていましたが、本日の写真は、私たちの住宅の「さんさん花壇」の花々や「ぶらり散歩」で出会った大きな「梅の実」や「いちじく」、日一日と育つ「キウイ」、そして立派な柘榴など・・・を並べます。

梅雨の晴れ間、今日もよい一日を!!