延原時行歌集「命輝く」(第2430回)(住宅花壇と雀の水浴び)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2430回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。


    6月13日

            リアル出づの歌十首

 一 物事の見極め違(たが)ふ故こそや死なば滅して無しとの見
 二 滅してや不滅ならずばこの宇宙何の幸ぞや在り得べきぞや
 三 誠にや滅して不滅佳き日はや人類なべて待つや天にや
 四 それなくば人齷齪(あくせく)と何の為この人生をお競い合ふぞや
 五 死の死こそ一切超へて待つやこそ人類(ひと)に楽しみ有るや嬉しや
 六 死の死とは御友体験なされしや甦りなり御父御許に
 七 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
 八 飛翔はや底の底なる御友共我ら一切天父御許に
 九 これ何も崇高なるの理想とや言ふべき非ずリアルのリアル
 十 リアルがやリアルならばやその宴オバマスピーチ抱擁に出づ

         
           ひしと進まむの歌十二首

 一 而してや出でし宴の次や何憲法前文共大悲ほか
   (備考:憲法前文にある「対等関係」の文字「共大悲」《mutual Karuna》 と読むべきこと我が提唱なり。そのとき「平和憲法」の意義我の言ふ「平安ありて平和なる」逆説的解釈にて一新さるべし:地上的平和を形而上学的に超ゆる「平安」在りて、かえって「地上的平和」成るべし。此度のオバマ米大統領の広島平和スピーチと森重昭氏抱擁の事件や、憲法前文の新解釈「共大悲」を孕むこと我や悟れり)
 二 これや何単に対等関係か否悲惨中より互ひ労はる
 三 人類(ひと)常に歴史理想と思ひしが平安ありて平和現成
 四 我や知る歴史御神の冒険ぞ固定を超へてits Unity of Appearance「ともあらはれ」ぞ
   (備考:ホ氏言へり:”In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention.” [AI, 295])
 五 御神の冒険何ぞ御友のぞ貌(かたち)を採りて我らと復活
   (備考:『ピリピ書』2・6−11、熟読参照。「共に復活」「ともあらはれ」を許したまふ、これ御父の御冒険即御友の冒険なり。それなしに歴史無し。かかる歴史観提示せしホワイトヘッド偉大なり)
 六 核時代戦略の果て悲惨ありされどスピーチ抱擁成就
 七 かくしてや人類歴史麗しき結実や見ぬ広島和解
 八 広島や如何に核のぞ悍(おぞ)ましき悲惨あるとも神共に笑む
 九 かくてぞや核廃絶の心はや友情の中ひしと進まむ
 十 オバマ氏や「広島長崎核ならず道義目覚めの大地」ならむと
   (備考:"That is a future we can choose, a future which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.” 「それは私たちが選ぶことのできる未来だ。その未来では、広島と長崎は核戦争の夜明けとしてではなく、道徳的な目覚めの始まりとして知られるだろう。」『新潟日報』2016年5月28日付14面)  
 十一 今やこそ人類目的示されぬ核体制や目当て撃たれぬ
   (備考:核体制に身も心も入れ込む国々や、もはや大義なし。かくて人類史分岐点に達せり。これオバマ氏と森重昭氏拓きし地平なり。知るべし)
 十二 人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ
   (備考:復唱)






昨日は、思いもかけないことから、滝沢克己協会のメンバーの小さな集いの企画が整い、今月(6月)25日午前11時30分、JR神戸駅前の「中国料理・天安閣」の楽しみができて、そのことをめぐって、東京と福岡からのメール便などいただき、面白い一日でした。

全国に散らばっているメンバーたちが、こうして気楽に集まって、軽い食事を楽しむ交流の場というのも、これらあちことで始まっていくのかもしれませんね。

こんどの集いは「四人の集い」ですが、むかし「悪童会」と名付けて「四人の会」を楽しんでいたことを思い出しました。年に何回か「鄙語」という同人誌をつくったりしておりました。第七号まで出しましたでしょうか。

このたびの「四人」のなかには、以前集いを持った折にお会いしたことのある田中寛さん(九州大学時代に滝沢先生の講義を受け、その薫陶をうけて、地元コープこうべで長くお働きなったお方のように記憶しています)の他に、一昨日呼びかけて下さった芝田豊彦さんは、関西大学の現役の先生で、『滝沢克己を語る』(春風社)や『思想のひろば』(22号、25号)などで論文を寄稿しておられるお方です。まさか先生が神戸市内にお住まいだったとは知りませんでした、そしてもうひとかた、伊沢誠さんは、ネットで検索してみましたら、西宮にある日本バプテスト教会・浜甲子園教会の代表をお務めの方のようです。そのHPを拝見しますと、ちょっとユニークな「円卓の礼拝」を執り行っておられるようで、むかしわたしも同様の実験をしていたこともあって、とても興味を覚えました。


ところで、本日の写真は、私たちの住宅の花壇と雀たちの水浴びを並べておきます。

梅雨のさなか、どうぞ良い一日を!!



雀の代わりに、こんどはムクドリもやってきて水浴びをして・・・