延原時行歌集「命輝く」(第2389回)(ぶらり散歩―あんずの実など)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2389回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。「御友神学」の「ともいきEvent」沸々!!

    4月3日

           御友神学の歌十二首

 一 御友なる御名や麗し頂上の趣あらずともいきの粋
 二 ホ氏も言ふ冒険実在変容す命なりけり共同復活
   (備考:"In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing World each claiming its due share of attention.” [AI, 295])
 三 人如何に命今生求むやも闘争不可避笑むことやなし
 四 我が妻や絶後笑み増し不思議やも岸辺に立つ主御友なりけり
   (備考:ヨハネ21・4,15・15、熟読参照)
 五 時代のや中心御友宣ふや父至誠如汝至誠なれ
   (備考:マタイ5・48、熟読参照)
 六 新しき地平拓くや我が新著御友語りや嬉しくやこそ
 七 人如何に超絶の神語るやも一般論しか語れずやそも
   (備考:「一般論」「私」に届かず)
 八 恩師がや絶対客観原事実ありと語らるこれ主観論
   (備考:なぜならばこれ滝沢が主張しおればなり。物事には必ず客観軸と主観軸とが同時に成立するなり。その間に必ず関係軸が在るなり。このような様態をホワイトヘッドは、改善されたる主観主義的原理と言へり。「改善されたる」とは不純なる主観主義的原理ある故なり。例えば、”This stone is grey.”と言ふことにて、形而上学的言説を始めるならば、これは不純なる主観主義的原理の一例なり。正しくは、”My perception of this stone as grey.”と言ふべきなり。[See PR, 159] 後者を「改善されたる」主観主義的原理の一例と言ふなり。滝沢の場合は、主観主義的原理の法則にいまだ自覚的ならざる状態なりたる如し)
 九 事ほどに左様なるなり神論議矛盾満杯我が身遠しや
   (備考:我が身真実に遠しなり)
 十 されどもや御友語りや誠なり父より聴きて「友よ」と告ぐや
 十一 而してや父へと運び霊下るPentecostalともいき現成
   (備考:受肉の御友、Pentecostal Eventの御友へと甦らされし事知るべし。その場合、「父から聴く」は御子の昇天にて起るなり。而して「友よと呼ぶ」は御子も我ら弟子たちも地上へと「霊体下る」Pentecostal Eventありて、私なら私に接する――何らかのインスピレーションを携へて――と言ふ事象ありて、御友語りが実現するなり。これPentecostalなる御友語りなり。キリスト教会はかかる御友語りを「五旬節の祝ひ」(使徒言行録二章、参照)に経験したるなり。私の場合は、「暖かき雪胸に降る」体験なり。良寛の場合には、「焚くほどは 風が持て来る 落ち葉かな」の体験なり。かかる体験を否認するならば、日本の宗教も文化も立ち行かぬなり)
 十二 いのちとは切れ目なき事ある日我深く諭さる我妻笑むや
   (備考:復唱。「深く諭さる」とは、PentecostalともいきEventなり。我妻の笑み御友父に運びて霊体を得、霊(我に)下る不思議なり)






昨日は昼間、ご近所で火事があって、一時騒然としました。火事現場まで・・・・三階建ての三階一室を全焼、延焼をとめました。先日も隣の高層住宅の火災があったばかりです。

本日も午前と午後のぶらり散歩で撮った花たちを、すずめやねこたちとともに並べます。

よくみると、あんずの実も、だいぶん太ってきました。



最後に「須磨離宮公園のはす池」の数枚を収めます。