延原時行歌集「命輝く」(第2370回)(ぶらり散歩―近くの長田区役所ひろばと私たちの花壇など)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2370回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(246−9)
汝楽しめやの歌、驚きぬの歌、さてもさての歌、つくづくとの歌、今日の日の歌、いそいその歌、歓喜滾々の歌、夕餉にやの歌、本作り面白きかなの歌、本作り間の歌、我が友やの歌、大乗基教の歌(2016年3月11日〜20日)。

    3月19日
           我が友よの歌六

 一 瞬時のや御父帰りの道や君御友共なり大安心ぞ
   (備考:木原和彦君往きし、2016年3月18日早朝なり。嗚呼、IXIA!)
 二 称名や友情絆幾星霜遂に往く時君が誉や
 三 我が友や科学知の問切実や我告げたるや御友運びぞ
   (備考:木原和彦氏より2015年12月17日お便りありたり:「拝啓 今年は天候不順が続き、御地では厳しい寒さ又雪の生活お送りしておられると思います。このような状況で寒さ雪もよしとしながら信子先生とお話しを続けておられる事と思います。貴先生は愚生を信仰に導き下さったお方 小生にとってもっとも大切な人です。先生は神学者でもおありです。小生あつかましくも自然科学的な疑問をお尋ねしたく思います。
 特殊相対性理論では光速の速度で走るものの中では時間がたたないといわれていますが、魂霊の科学としてはどのようにつながっていくのか等々。
 小生胃がんにかかり半年入院し帰って来て療養生活を続けております。
 いつまで歩行すれば自由に歩行出来るまでになるでしょうか、がんばっております。
 年末お忙しいい所お手紙差し上げて勘弁して下さい。
 乱文乱筆お許しください。
 追伸 先日日本最高のお米 新潟県こしひかりが先日とどきました。誠に有難う御座います。   敬具
平成27年12月17日  木原和彦
延原先生」
2016年3月8日 延原時行ご返事:「拝復 昨年12月17日付御便り誠に有難うございました。この冬は雪も沢山降り大変寒うございました。御兄も御大変な中よく耐えて御家族御一同主の御守りの内に一日一日を祝福の内に御過ごしのこと御慶び申し上げます。
 さて、御芳書に記されました御質問は大変重要なものに存じます、ーー
 「特殊的相対性理論では光速の速度で走るものの中では時間がたたなりといわれていますが、魂霊の科学としてはどのようにつながっているのか等々」
 特殊相対性に関する神学的見解は、面白い事に、ホワイトヘッドは主著『過程と実在』の最後の頁で明らかにしております。御友論であります。
 普遍的相対性の世界は、御父の絶対包摂世界であります。ところが、この世界は最後にキリスト=御友の具体的世界に於いて我々に対する摂理へと入ります。御友(ホワイトヘッドの”The Great Companion, the Fellow-Sufferer Who Understands”と呼ぶ御方)が地の愛を天上の愛へとつなぎ、天上の愛を地上の愛へとつなぐ御はたらき(交互関係=the Reciprocal Relation)をなさる事が摂理の内容です[PR, 351]。
私の歌では、こう詠っております(3月5日付)、ーー
 歓喜とは御友運びて我らをや御父に至るこれイマヌエル
御友が我らを御父に運ばれますには、時の経過はありません、直ちに天父の御国に参ります、永久の命をいただきます。5日に詠いました。ーー
 我妻や確固不動の永生にある歓びぞ胸に響きぬ
何の不安も心配も要りません。
大兄も只今食事が出来ぬことで御大変に存じます。点滴から食事に至られます様御祈りいたしております。
つたない「風の便り」の歌を同封させていただきました。御笑覧下さい。
 天父の平安、御友の御愛のゆたかに御身と御一家の上にございます様に!
 IXIA!
 延原時行
 2016年3月8日
 木原和彦様」)
 四 歓喜とは御友運びて我らをや御父に至るこれイマヌエル
 五 この朝も令夫人ぞやにこやかに君御国往く喜びてこそ
 六 父の遺志胸に一途や寛君黙々として後や守れる

       ♯              ♯

今朝も上の歌(3月19日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めるところですが、パソコンの回復がまだのようです。本日の内にはOKでしょう。

毎日、パソコンを活用しながら論文を書き上げ、著作を仕上げて、メルマガを世界の友人に発信しておられる先生にとって、パソコンのトラブルはお困りのことでしたでしょう。




今朝は雨模様で、洗濯物は部屋の中につるしました。狭い我が家の朝の掃除機も快調で・・・こうしてパソコンに向かってブログUP・・・その前に、facebookに届いた知り合いの方の見事な写真に見惚れて、短くコメントして・・・。

このところずっと、若き日の「生活ノート」(ゴム労働の日々・地元の公民館の嘱託時代・そして神戸部落問題研究所の創立へ、のころのもの)をpソコンに打ち込んでいます。まちの大変貌の激動の中、延原先生と「神戸自立学校」で熱く研鑽を重ねる日々のことが、いまのことのようによみがえってまいります。「だれもみてはならない」と記していた「生活ノート」をぼく自身も現在まで読み返すこともなかったのですが、この歳になって読み返すことのできるのも、また格別なものがありますね。


本日の写真は、近くの長田区役所前の広場の景色です。私たちの花壇の手続きで区役所のまちづくり課にでかけてきました。

次の写真は、私たちの花壇の今です。