延原時行歌集「命輝く」(第2348回)(ぶらり散策ー東大阪市「花園中央公園」)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2348回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(244−5)不思議の歌、如何なるかの歌、或日の歌、敷衍の歌、続・敷衍の歌、皆の歌、春来るの歌、具体的の歌、めでたしの歌、復活の家道場の歌、「本作る」とやの歌、此処に在りのうた、ひらひらのひらの歌、雪雪よの歌、体や尊しの歌、これにてやの歌、今一冊やの歌、愛づの歌(2016年2月21日〜28日)。

    2月25日
          めでたしの歌三首

 一 熱誠の友や生誕祝ひてや七十六回実にもめでたし
 二 我はしも来る七月二三日七十九と相成らむとす
 三 数ふれば二年七箇月先行くや慶陽さんと御友門下よ
   (備考:同志社の二年後輩鳥飼師いかにお世話に相成りしかや)

         復活の家道場の歌十二首

 一 営々と書き綴りてや半世紀日英十著いよよ〆せむ
   (備考:〆に十数年かな二十数年かな、急ぎはせぬよ)
 二 この頃は妻と建てたる我が家を復活の家道場名づく
 三 朝毎に歌瞑想をしたる後本綴りゆく一歩や一歩
 四 何しろや日英著はや十とありさてもさてもやぽつりぽつりと
 五 我はしも日にち仕事の楽しくてもう半世紀かくのごとしぞ
 六 これはしも日米欧にありし時教会大学何処もぽつり
 七 昨日は玉葱豆腐味噌汁どん作りて食す簡易贅沢
 八 何しろや復活の家道場に一歩一歩とぽつり成すだけ
 九 午後にはや愛車漕ぎてやスーパーを巡りて何か旨いものとぞ
 十 何にせよ飽きもせずにやこのぽつり堪へられむや実に実に実にも
 十一 ぽつりとは言ふもののぞや当たればや地球の裏に友や快哉
 十二 また雪ぞ昨夜つくりし鰤大根どれ昼餉にぞ頂かむかな

         「本作る」とやの歌五首

 一 一日にぽつり進むや我が著作飽きもせずにや半世紀行く
 二 阿賀北や今日も降りゆく雪の中絶後笑み増す妻とゆく我
 三 切れ目なき笑み湛へゆき我妻や雪の越後に「本作る」とや
 四 これ誠御友の摂理言ふや我何故や地球の友垣のなか
 五 友よりぞConviviality本出ずるとや聴きて嬉しや春のおとずれ
   (備考:2012年母校Claremont School of Theologyにて開催せし国際学会より生まれし一冊この三月中旬に上梓とか。Roland Faber and Santiago Slabodsky, ed., Living Traditions and Universal Conviviality: Prospects and Challenges for Peace in Multireligious Communities (Lexington: Rowman & Littlefield, 2016)拙論:"The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity: In Dialogue with Thomas Berry and Sallie McFague"なり)





昨日は、延原先生の若き日・加茂兄弟団時代からの門下生・木原和彦さんの告別式があって東大阪市の枚岡教会に出かけてきました。先生は一昨夜の前夜式から出席しておられ、昨日も告別式の後、斎場までもご一緒しました。

本日は、三木市在住の兄ご夫妻を訪ねられて、信子師の納められている墓苑にもお参りになり、今晩中には新発田に戻られるよていです。急ぎのお仕事が待っているようです。

そんなわけで、本日も先生のメルマガ「風の便り」の「今日の歌」はありません。


本日は、実はわが父・鳥飼元(はじむ)の命日です。

1945年3月22日、旧満州国での病没ですが、母から生前教えてもらっていたのは「3月23日」が命日で、私の誕生日は父の命日と同じ「3月23日」だということで、ずっとそう思ってきましたが、実は私の立誕生日は正確には「1940年2月23日」でひと月違い、かてて加えて、最近必要があって謄本をみると、父の命日は「3月23日」ではなく、本日「3月22日」であることが判明しました。謄本が正確だとすれば、これも母の勘違いだったのでしぃう。

故郷にいま暮らしている兄夫妻のところには、今年もお墓参りができませんので、お花を届けておきました。


本日の写真は、上の写真が告別式の執り行われた枚岡教会の礼拝堂正面のステンドグラスとお花です。

以下のものは、教会の近くをぶらり散策をして撮った数枚です。