延原時行歌集「命輝く」(第2329回)(ぶらり散歩―まだ浅い春。うららかに)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(242−6)21世紀の歌、いよいよやの歌、御父やの歌。妻や歴々の歌。二校了の歌、なにゆえかの歌、この時代の歌、驚きぬの歌、核時代さらばの歌、声や響けりの歌(2016年2月1日〜10日)
2月6日
いよいよの歌十余首
(五)受肉論
八 第五著ぞ「受肉神学」院よりぞ綴り来たりて五十五年ぞ
(備考:『受肉の神学ーー救済論と形成論』なり)
妻や歴々の歌十首
一 歌賀状米の教へ子返事あり時空を超ゆる妻や歴々
(備考:クレアモント大学院我が許にてM.Div.論文書きし楠なおみ君=現在Mrs.Naomi Kusunoki-Martin=San Gabriel, CAより我が年賀状への返事来たれり、嬉しも:「延原先生 信子さんには、いつも「ぼくちゃん」と呼んでいただいてかわいがってもらいました(注。自分のことを「ぼくは」というのが口癖なりき)。自分の子どもが今、上は20歳、下は16歳となりましたが、ちょうど下の子は、これから運転免許取得にむけて練習を始めようとしているところです。その様子をびくびくと見守りながら、信子さんに運転を教えていただいた当時のことなど、懐かしく思い出しています。その間きっと何度も怖い想いをなさったに違いないと思うのですが、先生がお詠みになった歌にもある通り、信子さんは笑みを絶やさず、常に励ましてくださいました。
南部さん(注。日本からのクレアモント大学院留学生)が亡くなった際、カーペットに残っていた血の痕を、ハンカチで一生懸命に拭き取ろうとなさっていた信子さんの姿も、印象深く胸に残っています。あまりにも鮮明なイメージなので、あれから30年近く経っているなど、信じられないような気がします。
いろんな事柄を時空を超えて思い出すにつけ、信子さんはこのような形でomnipresentになられたのだという気がしてなりません。
物理的な束縛から放たれ、今も罪と恥を日々重ねる我々の姿を「また アホなことやっとる」と苦笑いしつつも、暖かく見守って下さっているのだと思います。
今年の冬、日本海側は雪が多いと聞いています。身体を大切にして、どうか元気でお過ごし下さい。
生前の信子さんと巡り逢う機会に恵まれたことを感謝しつつ・・・
2016年1月17日 楠 なおみ拝」)
二 面白き思ひやこれぞ我妻や我が歌なくばなきにぞやこそ
三 それほどに我と化したる汝やこそ時空超ゆるも信子歴々
四 病院で呻吟しつつおりし汝誰(た)が真実を知りおりしかな
五 御神の祝しし汝や我が歌に笑みて笑み増す切れ目なきほど
(備考:なあ、ノーちゃん。そう、父さん、嬉しい嬉しい)
六 汝もしも健やかにして今あらば一大激変なく歌もなし
七 我が歌を聴く毎にぞや汝言ひし心に清き水流る如
八 汝がいのち切れ目なき笑み一筋に御友とともに天父往くまま
九 往くままを我詠ひけるいのちはや誠汝なり我が歌にして
十 誠にや奇しきいのちの物語延原信子燦として在り
二校了の歌二首
一 我妻や新しき本二校了汝や「やって」と言ひしとおりに
(備考:『良寛「風の歌」にちなんで――御友神学の省察』なり)
二 汝やげにぽつりぽつりと天よりぞ「仕合せやなあ」響き来るよ
なにゆえかの歌二首
一 なにゆえか汝が喜びは我がしも世に羽ばたくを仕合せとせし
二 なにゆえか汝が出来事のいちいちを我や詠ひて楽しみとなす
♯ ♯
今朝も上の歌(2月6日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。
3月3日
「本作る」とはの歌六首
一 思ひ出の奉献ありて妻永生映して我や「本作る」とは
二 我妻や汝が永生の深ければ我が本作り泉得しなり
三 「本作る父さんやって」言ひし時妻や永生映す求めし
四 天父のや尽きぬ御覚えありてこそ人生くること天命と知れ
五 天父のや尽きぬ御覚えありてこそ我や作るや本歓びて
(備考:なあ、ノーちゃん。そう、父さん、嬉しい嬉しい)
六 初春や妻と共なる一書また出だす思へば胸震へけり
(備考:復唱。この一書『復活の省察』中巻のことなり)
御友本の歌一首
一 御友本戦後跡なし一新す風が持てくる日ノ本や佳し
(備考:新著『良寛「風の歌」にちなんで――御友神学の省察』(新潟・考古堂書店、2016年)の趣なり)
住宅の草花や木々も、沈丁花など新芽たちが春を告げています。
本日もぶらり散歩でであった猫ちゃんや鳥たちと共に、数枚収めてみます。