延原時行歌集「命輝く」(第2313回)(神戸元町の喫茶店「舌れ梵」(とれぼん))

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2313回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(241−1)切れ目なき笑み見事なりの歌、核無知極みされどの歌、変調やありの歌、一切真理の歌、ある日の歌、原爆撥無の歌、御友祈りの歌、ノーちゃんやの歌、復活本御友わざの歌、英文稿嬉しやの歌、校正楽しの歌、暖切らさずやの歌(2016年1月21日)。

    1月21日
        切れ目なき笑み見事なりの歌

   (一) 切れ目なき笑みに見事なること見ゆ
 一 我妻や切れ目なき笑み見事なり御友示してげにあまりあり
 二 我妻の切れ目なき笑み落胆の人方誠鼓舞するや佳し

   (二)いのちの信頼に至ること見事なり見ゆーーアンセルムス
 三 今生の深きいのちの信頼に到り得ぬ友あまりに多き
 四 問題やアンセルムスの神照明神信ぜずも成ると通ずや
   (備考:極め付きのアンセルムス『プロスロギオン』第四章、原文これなり:”Gratias tibi, bone Domine, gratias tibi, quia quod prius credidi te donante, iam sic intelligo te illminante, ut si te esse nolim credere, non passim non intelligere.” (I 104, 5ff); 英訳文之也: "I thank thee, good Lord, I thank thee, that what I at first believed because of thy gift, I now know because of thine Illumining in such a way that even if I did not want to blieve thine Existence, yet I could not but know it.” 邦訳示さん:「我汝に感謝す、善き主よ、我汝に感謝す、我はじめ、汝が賜物のゆえに、信ぜしが、今ぞや我知るや、汝が照明のゆえに、たとえ我汝が存在を信じたくなくあらうとも、なほ我それを知らざるを得ざるなりと。」 See Karl Barth, Anselm: Fides Quaerens Intellectum: Anselm’s Proof of the Existence of God in the Context of his Theological Scheme (London: SCM Press Ltd., 1960, p. 170)

    (三)ポスト核体制見事なること見ゆーー我が見地
 五 御神の核超ゆる事信ぜざる世界首脳も事認識す

    (四)御友照明御業見事なりーー天地の交互関係:御友
 六 見事なり三段階の御友のや切れ目なきぞや照明御業

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今朝も上の歌(1月21日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    2月16日
          歓びぞこれの歌四首

 一 御神や我妻笑み増し御友とも飛翔歓び本になせとぞ
 二 この事の如何に大なる祝福ぞ切れ目なき笑み切れ目なく詠む
 三 我妻や父へ飛翔や成すままに送られけるや我が身時へと
 四 往くや妻詠む我とぞや切れ目なし本作りなす歓びぞこれ

           深夜我の歌三首

 一 深夜我Joeの拙論評するを歓びをもて読めり深甚
   (備考:英文稿”Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics,” Open Theology 2015; 1: 494-511.を最高の学問的精確さでもって激賞せる、「米国宗教学会」(AAR)にて「Seminar on Process Thought, the Nishida School of Buddhist Philosophy in Comparative Perspective」(1985−1991)の座長を七年間務めし時以来の友人Prof. Joseph Bracken, Xavier Universityの評論”Comparing and Contrasting Aquinas and Whitehead: An Introductory Commentary," Open Theology 2015; 1: 540-545.を読めり。現存の最高の米哲学者/神学者にかくまでの論評をいただく、著者冥利に尽きるとは、このことなり。有難きかな、嬉しきかな)
 二 我が意をば汲みて評する友やあり真理の味や美酒に勝るも
 三 確かにや友と分かつは今現在哲神学の奥所これなり
   (備考:我の言ふ”Divine Ecozoics”やJoeの傑出論文”Panentheism in the context of the theology and science dialogue," Open Theology 2014; Volume 1: 1-11.の論点と通底す。げに面白し)



久しぶりに神戸元町にある知る人ぞ知る名喫茶「舌れ梵」(とれぼん)で、相も変らぬ美味の珈琲をいただきました。

最高の珈琲豆を用いて昔の味をそのままに、しかも珈琲代も昔のままに・・・ナントいまも300円!!


このお店は、昔から版画家の岩田健三郎さんが姫路から神戸新聞社などに出かけてこられた時に、たびたび立ち寄った喫茶店としても知られています。

若いころの岩田さんの版画が、いまも窓辺に飾られています。

この場所は、先年まであった「海文堂書店」のすぐ近くにあって、仕事場が元町にあった当時から、ぶらり散歩をしながら立ち寄った、想い出の喫茶店でもあります。

お店の雰囲気は、文字で書きするすよりも、まずは写真で御覧に入れるのがいちばんでしょう。神戸にお越しの折は、ぜひお立ち寄りあれ!!



最後に、この喫茶店の近くにある元町通り商店街のお店――老舗珈琲店と今話題の「元町映画館」―−を収めます。