延原時行歌集「命輝く」(第2400回)(ぶらり散歩―「梅ヶ香通公園」)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2400回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(239−7)
初春やの歌、元旦やの歌、主よとの歌、我覚るの歌、仄々との歌、御友「イマヌエル間の力動」の歌、皆の歌、いのち修行の歌、道ありの歌、彼の国やの歌、恩師はやの歌、歌推敲の歌(2016年1月1日〜10日)。

    1月8日
         彼の国やの歌十四首
 
 一 彼の国や水爆もどき実験す何やら哀願するがごとくぞ
   (備考:1月6日北朝鮮「水爆」実験なり。北京にも連絡せずあるは、何がありたるや。身内なき決行か)
 二 キューバもやイランも米と仲直り「なにゆえ孤独」声や水爆
 三 人よ知れこの水爆もパリテロもげにも求愛示せるやほど
   (備考:倒錯的人類求愛の病理なり)
 四 それが故地球政治やこれからや自由民権愛語ほかなし
   (備考:モスレムも米国家族の一員なり言ひしオバマ大統領の声明、これ愛語なり)
 五 日本海渡りて小舟漂着す彼の国の民声なき声ぞ
 六 いかにかや米と日とでこの地球少しは愛語通はさんかな
 七 人類(ひと)なぜか文明進歩核にあり信じ来るも地球ぼろぼろ
   (備考:ぼろぼろの最たる問題の一つ「拉致事件」なり)
 八 然れども「空神至誠」「至誠なれ」御友御声や朗々たるよ
 九 この時にDivine Ecozoicsや我書きて御友神学明らめにけり
   (備考:See my essay "Divine Ecozoics and Whitehead's Adventure or Resurrection Metaphysics," Open Theology 2015; 1: 494-511.)
 十 人類(ひと)よ汝御声聴きてぞ核離れ愛語の里となせや地球を
   (備考:核離るとは、如何なる実験・爆撃も、「神Ecozoics」を捏造出来ぬことの徹底認識に至るとのこと、なり)
 十一 愚かなり「神Ecozoics」なる法源や汝核頼る超えてあるなり
 十二 然る故核そもそもや呪ひなり汝核へとぞ見捨てられしぞ
   (備考:この事悟り懺悔すべきは、人類史上初めて核二回広島長崎に投下せし米国なり。その時まで米国に真正の基督信仰あるなし。「獣を撃て」とト氏叫びて己を神に擬したる時、彼原爆をあたかも法源ででもあるかのように提示せるも、これ甚だしき涜神行為にやあらざるか。以来、諸国が核保有せる現在、この核の法源との混同(而してこの混同をもって己が敵を罰するとの偽宣教師意識、一語でもってすれば驕り)核体制には付着するなり。この驕りの核体制への不可避的なる付着を我「呪ひ」と言ふなり。この呪ひ、諸国が核体制をあたかも「神Ecozoics(エコ生命学)」と同一のものででもあるかのように錯誤する以上、人類の上に及び続けるなり。これDivine Ecozoicsの、如何ともなし能わざる審きなり。この審き核体制の国の為政者の良心の芯を射抜くなり。もし、射抜かぬとすれば、彼偽善者か愚鈍なり。到底御神に祝される器にやあらず。ちなみに、我が英文稿、本題は”Divine Ecozoics and Whitehead's Adventure or Resurrection Metaphysics”なる故、核の問題は地球エコロジーの埒内の一小問題にして、本文にてや論ぜず、注記したるのみなり。本題は、繰り返すが、Divine Ecozoics(神エコ生命学)なり。その主旨、①空(エコ)に神至誠なる故、②汝も至誠なれと、③御友喚起し給ふ、と言ふにあり。①は神領域の形而上学的認識なる故、②地上のエコロジー問題としての「世界至誠心」(ホワイトヘッドの言ふ”World-Loyalty")を凌駕するなり。地球政治における核体制問題は、②の埒内の一問題なり(注記の対象なり)。決して②の問題その当所、地球エコロジーそのもの、にはあらず。①の神Ecozoicsも、②の地上エコロジーも、③の御友神学の観点より正しく考察さるるものなりとは、我が観点なり。御友神学の省察なしには、①も②も適切に考究さるることなしとは、重要なり。我が観点からするならば。②の領域内における一問題にすぎぬ「核体制論」は、③御友神学の省察ありて、①神Ecozoicsより考察が可能となり、而して②地上エコロジーが確立したる時に初めて、真摯に考究さるるものなり。かかる問題考究がなりてこそ、人類は核体制を脱することが可能になるものと思はるるなり。その時、第一第二の核投下(広島長崎)の問題性の批判的解剖、および第三の核投下の回避の重要性がまっとうに論ぜらるることと相成るなり。そのプロセスを通じて、旧きキリスト教絶対主義神学の至らなさが批判され、新しい宗教間対話神学の確立が推進さるることと相成らん。本書『良寛「風の歌」にちなんでーー御友神学の省察』の意図はそこに存するなり)
 十三 人類や核病理学渦中にやありてのたうつ罪人の群
   (備考:おそらくや核体制を脱するに、核病理学中よりしてぞ「告白」出ずるべし。誠に逆説的なるも、これ時代先端なるべしとぞや我感ず。21世紀の核時代内省してや、アウグスチヌス的「告白」出ざるべからず)
 十四 御神よ何ぞ我をば見捨てしや御友叫べり底の底より
   (備考:第一の底は罪の底なり。第二の底は罪の底担へる御友の赦しの愛ぞ)

       ♯              ♯

今朝も上の歌(1月8日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    2月3日
          いよいよやの歌十首

   (二)復活省察
 三 先ずや我復活本をあと二巻妻の鶴首に応へんとてや
   (備考:『中巻・御友神学へ:人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ』:『下巻・御友の祈り:我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す』なり。復活に「微笑」段階と「飛翔」段階とあるなり。微笑は「岸辺の主」発見の笑みなり。「飛翔」は御友と共なる御父への帰命なり。そこまで主の祈りは届くなり)
 三A この時代飛翔や知らぬそれ故に三次大戦愚や論ずなり 




いつも朝の起床は6時ですが、いつものように朝刊をとり、ドアを開けて、東の空を仰ぎます。

節分の今朝は、この時刻では、明けの明星でしょうか、日ののぼる方向の斜め横あたりに、きらきらと大きな星が輝いています。

あまりに奇麗でしたから、しばらくしてまたドアを開けて、少し明るくなった東の空を眺め、そして朝食の後にもドアを開けると、大きな太陽が顔を出していました。今日も新しい朝がきました。



昨日の午前中のぶらり散歩は、15分ほど歩いたところにある「梅ヶ香通公園」界隈です。ここには地名の通り、梅の木があり、紅梅が美しく咲いています。

ヒヨドリがいたり、メジロたちも群れていました。メジロは私のカメラでもうまく撮れませんが、次の写真には、小さくメジロが入っています。





この公園は細長く周辺に何本も古木の桜の木や立派な「かいずかいぶき」があり、「のうぜんかずら」もお見事です。花壇も手入れが行き届いていて、「皇紀二千六百年記念」「創立十周年記念」「梅ヶ香青年団 昭和十五年六月」の刻まれた石柱も遺されています。

最後に、昨日の空と住宅の梅の木、そしてねこちゃんと。