延原時行歌集「命輝く」(第2395回)(ぶらり散歩−御蔵北公園)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2395回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(239−3)
:初春やの歌、元旦やの歌、主よとの歌、我覚るの歌、仄々との歌、御友「イマヌエル間の力動」の歌、皆の歌、いのち修行の歌、道ありの歌、彼の国やの歌、恩師はやの歌、歌推敲の歌(2016年1月1日〜10日)。

    1月3日
           仄々との歌七首

 一 仄々と我や読みたり「朝日」にぞ広告出でし拙著四巻
   (備考:『朝日新聞』元旦号に考古堂書店の良寛書十七巻広告ありし中、拙著『復活の省察上巻』『地球時代の良寛』『宇宙時代の良寛』『宇宙時代の良寛再説』一隅照らすを許されたり、嬉しも)
 二 これら著書我妻闘病絶後笑み切れ目なきさま描き生まれぬ
 三 その間に良寛禅師学びしや誠恵みの時なりし哉
 四 妻笑顔ますます輝き増すとこそ見るや嬉しや初春の幸
 五 我妻や笑み切れ目なく寿ぎぬ生死一体御友現臨
 六 誠にや人の一生ずずいとぞ御友とともに御父御許に
 七 我やしも妻往きてこそ本作り妻を詠ひて成るや嬉しも

      ♯              ♯

今朝も上の歌(1月3日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    1月29日
         英文稿嬉しの歌四首

 一 英文稿Open Theologyにて閲読位No. 12と聴くや嬉しも
   (備考:My essay “Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics”世界的オンライン神学誌Open Theologyにて地球の学術人士の超人気論文と相成りたる由。ご閲読には、Googleにて「Tokiyuki Nobuhara」をクリック、最初の論文をご閲読あれ:Top 20 Most Downloaded Articles中第12位なり)
 二 我が新著原爆教をそも撥無風が持てくる御友神学
   (備考:『良寛「風の歌」にちなんで――御友神学の省察』なり)
 三 先達やご新著献本頂きぬ回心論のイエス考究
   (備考:八木誠一『回心 イエスが見つけた泉へ』東京・ぷねうむ舎、2016年、なり。八木氏は、滝沢の「神人の接触第一義と第二義」を受け入れ、第一義(インマヌエルの原事実)がイエスの出現以前にキリスト教を超えて万人の許に成立しているものと見たうえにて、第二義すなわちこの原事実の覚ないし信は諸宗教(例えば、仏教とキリスト教)に現れたるものなりとの立場を、画期的な立論となすなり。ただし、八木氏の場合、もともと、統合論の哲学とフロント構造論を展開しているところがユニークなり。このことは、滝沢において、第一義と第二義に間の力動的関係にかんする説得的な立論がなきことと対比して、間を埋める宗教哲学的解法の提示が、新約学的場所論とも相まって、なされたるは特色なり。原事実と史的イエスだけの研究では、滝沢におけるごとく、純粋神人学はイエスにおける史的・具体的なものを一切その本来の内容とせず、という「間の関係」に見極めの欠如を残す所以なり。我が最近の御友神学の省察は、「間の関係」論なり。その点、八木氏のこのたびの「回心 イエスが見つけた泉へ」と軌を一になす如くなり)
 四 朝夢に我妻我と会食の準備励むや人方や笑む
   (備考:この夢、二人三脚の『復活の省察』中巻づくりに向かう意気示せり)





今朝は朝から雨模様ですが、昨日は昼間比較的暖かな日差しもあって、市場への買い物もぶらり散歩もちとのんびりと・・・・。夕刻から夜は雨降りでしたが、チャリンコに乗って、二つの会議をはしごして、ちとあわただしく・・・。


本日の写真は「御蔵北公園です。広場には遊具もあって、はじめてその上に上がって、空を眺めてみました。

この公園には、大きな百日紅とこぶしの木がありますが、この季節は丸裸です。花も植えられて、スイセンも奇麗でした。



このあたりも21年前の震災で大きく傷んだ場所で、鎮魂のモニュメントがつくられ、いつもお花が手向けられています。

消失した傷跡を遺す一本の電柱もそのままこの公園に残されています。



公園には大きなザクロの木もあり、季節外れですが、ザクロがふたつばかり残っています。鳥たちと共に・・・。



最後に花壇とねこと・・・。