延原時行歌集「命輝く」(第2382回)(自転車に乗って散髪屋さんへ――空を見上げる)

             
  延原時行歌集「命輝く」(第2382回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(237−9)変貌書起つの歌、驚きやの歌、御栄の歌、国の宝の歌、寿ぎの歌、切れ目なし嬉しの歌、無辺いのちの歌、汝がいのちの歌、ぐるりとやの歌、ぽつりぽつりとの歌、仕合せ泉の歌、一日にほんの少しぞの歌(2015年12月11日〜20日)。

    12月19日
          仕合せ泉の歌十七首

 一 何があり何が無くとも我妻の切れ目なき笑み仕合せ泉
 二 汝が笑みや生涯の際(きわ)溢れてや絶後いや増す御友いませば
 三 心にぞ寝ても覚めても暖雪の降りて積もりて切れ目なきなり
 四 何事のおわしますやら御友こそ我妻笑むも雪もたまふや
 五 我が恩師イエスになぜか「縛られず」言ひたまふやも我や不二なり
   (備考:「それ(注。イエスの地上的形態や聖書からまったく手を離してしまえば、空虚で根底のない深淵に落ち込んでしまわないだろうか、との問)に対して、純粋な神人学は偶然的・一回的に与えられたナザレのイエスもしくは聖書という形態に助けられ導かれはするが、しかし束縛されはしない。むしろ、生ける道標としてのこの形態に導かれて、もっぱら道、真理、太初のロゴスに向かうのであり、バルトと共にいうならインマヌエルの原事実に、永遠に新たな、絶対的に不可分・不可同・不可逆的の神と人間の関係に向かうのである。したがって、神人学はその本来の内容として特殊的・史的な形態を内に持つことはできないし、ゆるされないし、また持とうとはしない。それは神人学が通俗の意味で「抽象的普遍的」に思弁するからなのではない。まったく逆である。神人学があの絶対的に偶然的な、ただ生ける神ご自身によって神ご自身の自由な表現点として規定された人間存在に、固く結びついているからなのであって、この規定された人間存在を離れては、いかなる特殊的、具体的にして史的な形態も、この世界には現実として存在できないのである。」in: 滝沢克己『純粋神人学序説』福岡・創言社、272頁) 
 六 これこそやインマヌエルの原事実その底秘密通路御友よ 
   (備考:我の言ふ「イエスとの不二」とは、御友なり)
 七 底とはや「不可分」とぞや言ひし境原事実中の原生起なり
   (備考:インマヌエルの原事実は、その内奥において「不可分=原生起=空」あるによって成立せる事実なり。恩師はこの内奥を認めざるなり。その場合、神人一体の「一体=不可分」は、神の属性となるなり。我が観点は、これに反して、「一体」は神にも人にもよらぬ、それ独自の実在、即ち空、とするなり。空は「空自らを空ずる」原生起にして、事実の変貌なり。この変貌、我が認識より先に我を包むなり。人々イエスを対象視なせるも、新約聖書にて「イエス」と言へるは、御栄(ヨハネ17・24)からの絶対関係を含むなり。これを明らかになせるがヨハネ15・15の御友の言葉なり。滝沢純粋神人学これを一切見ざるなり。具体相を一切含まぬ、純粋神人学とは、恐るべき学なり)
 八 インマヌエルただ原事実ならばぞやそこに我への通路あるなし
   (備考:神人一体の原事実、「一体」が「空=原生起」なるゆえに「空即縁起」的に、空即是色なり。それを我「我への通路」と呼ぶなり)
 九 主イエスがや元の栄へとのたまへる輝きこそや此処に顕現
   (備考:ヨハネ17・24、熟読参照。ここに顕現なさる御方御友なりけり)
 十 父よりや聴きしなべてを友よとぞ語り給へる御友いますや
   (備考:ヨハネ15・15、熟読参照。滝沢前掲著272頁よりもこの聖句をより確実な原典となすは、我が立場なり。御友の事は御友に聴くべし。滝沢に聞くべきにあらず。滝沢に聞かば、滝沢原点「論」が返ってくるのみ)
 十一 原事実原生起なりそれなくば絶対関係御友あるなし
 十二 原事実「向かう」ものとぞ恩師言ふ我言ふ否や御友到来
 十三 御友のや現臨誠切れ目なし我在るや即御友在りけり
 十四 この真理絶対関係我や呼ぶ「向かう」以前に御友ますなり
   (備考:滝沢の「向かう」と言ふは、「太初のロゴス」(ヨハネ福音書1章1節第一項)なり。恩師ロゴス論の際に、明示的に「神と共」の表されたる第二項「ロゴスは神と共なりき」に、一切言及せざるなり。さらに言はば、絶対関係御友の事は、第三項「ロゴスは神(定冠詞の付けるho theosに非ずして、定冠詞なしのtheos、つまり「神の機能を果たす、神の代理」)なりき」に典拠あり。これにも恩師言及なし)
 十五 焚くほどは風が持てくる落葉かな良寛御友風と呼ぶなり
 十六 切れ目なき御友の恵み我妻や笑みて笑み増す生死(しょうじ)に示す
   (備考:初めの笑みや生涯最高の仕合せと今生の最期に我に謝せし折の笑みなり。次なる笑みや絶後笑み増しなり。此処に切れ目あるなし。かくて生死一体なり。ホ氏も言へり:”We perish and are immortal.” [PR, 351, 82]
 十七 この辺り友方直言躊躇すや我我妻の笑みや見るこそ

      ♯              ♯

今朝も上の歌(12月19日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

   1月16日
          人誰もの歌一首

 一 人誰も天与の使命ある事をよく見誉むるや愛語なりけり




少しずつ夜明けが早くなってきました。今朝も新しい朝が来て、美しい朝焼けが目に入りました。

朝食の後、窓を全開して朝の掃除をし、どっさりと洗濯も済ませました。


昨日は、新潟在住の平尾真智子先生からいただいた戦前昭和期の雑誌『看護婦』に長期連載をした吉田源治郎の「児童心理の研究」をテキストにして、賀川記念館のHPにUPしてもらうことができました。http://www.core100.net/lab/lab_torikai.html


昨日は午前中、自転車に乗って馴染みの散髪屋さんへ・・・。我が家から新開地までは、立派な自転車専用のレーンができていて、往路も復路もスイスイと・・・。

ここには、途中にそびえたつ鉄塔とともに専用レーンを収めます。



散髪を終えて、久しぶりに古本屋さんに立ち寄って、ジャック・カボーの『シモーヌ・ヴェーユ伝』が出ていたので買い求め、お店のおじさんから「いい本を見つけたね」といっておほめ頂き、600頁ほどの大著を特別にお安くしていただきました。

昨日のぶらり散歩では、遊具の整った近くの公園で、はじめて滑り台の上にあがって、流れゆく雲を眺めました。



滑り台から降りてからも、ぶらりぶらり空を仰いで・・・・



11階の階段をぶらりぶらり歩いてあがって、廊下から眺める空と景色と・・・キャナルタウン方面、新開地方面、そして六甲の山並みと・・・。