延原時行歌集「命輝く」(第2349回)(西に輝く新月・ベランダの銀杏など)

               
  延原時行歌集「命輝く」(第2349回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(234−5)我打つやの歌、米国やの歌、止め難くもの歌、佳きの歌、御友ぞましての歌、必要不可欠神学の歌、我が大発見の歌、地の法「協働」の歌、昨夜はぞの歌、主の招きの歌、溢れにけりやの歌(2015年11月11日〜20日)。

    11月16日
          必要不可欠神学の歌十二首

 一 ベリーがや「エコ生代」(Ecozoic Era)と言ひし受け我「神Ecozoics」神学書けり
 二 空(エコ)に神至誠ましてや至誠なれ命法(ゾエ―)出ずと御友語りぬ
   (備考:マタイ5・48、熟読参照) 
 三 至誠心空に御神示す故至誠なれとぞ呼び給ふなり
 四 もしもぞやこの故なくば命法や神の恣意とや言ふべきやこそ
 五 故なしに神の命法ありとすはげに暴法と言ふべきやこそ
 六 ホ氏がぞや”fiat”と言ふはこの如き厳命なるや至誠や無くも
   (備考:ホ氏書きぬ:”The notion of God as the 'unmoved mover' is derived from Aristotle, at least so far as Western thought is concerned. The notion of God as 'eminently real' is a favourate doctrine of Christian theology. The combination of the two into the doctrine of an aboriginal, eminently real, transcendent creator, at whose fiat the world came into being, and whose imposed will it obeys, is the fallacy which has infused tragedy into the histories of Christianity and Mahometanism.” [PR, 342])
 七 それ故に我や言ふなり空にぞや神至誠なりこれ法源
 八 ここにこそ佛基対話の只中に基教新生認め得るなり
 九 空とはや三位一体於いて在る絶対無のぞ場所を言ふなり
   (備考:小野寺功『随想 西田哲学から聖霊神学へ』(横浜・春風社、2015年)参照)
 十 空爆にテロ反撃やこの悲劇神至誠心見ぬぞ悲しも
   (備考:一昨日2015年11月14日、パリ同時多発テロを悼む。悼む御方は主なり、御友なり)
 十一 かく見れば我が英文稿この時代必要不可欠神学示す
 十二 時代をば「エコ生代」と言ふは良し「神Ecozoics」そもなくば是なし

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今朝も上の歌(11月16日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    12月14日
           寿ぎの歌二首

 一 地界にぞ精神界のご提案友や成せしやエコロジー極む
 二 一文を寄するや嬉しご提案寿ぎてぞや心底より
   (備考:我が返書これ成り:「山本良一先生 拝復 過日は考古堂書店を通じまして御高著(武村牧男・松長有慶両氏との御共著)『地球環境問題を仏教に問う:温暖化地獄を仏教・密教は救えるか』(東京・一般社団法人 未踏科学技術協会、2015年)をご恵贈頂きまして誠に恐縮に存じました。心より厚くお礼申し上げます。有情にも非情にもいのちありとの日本仏教(ことに密教)の見地を、武村牧男・松長有慶両先生と共に、窮められ、その上に立って御提唱「地球的境界(Planetary Boundaries)に対して精神的境界(Spiritual Boundaries)を提案する」を詳らかになさった御高著、何度も拝見させていただいております。画期的出来事に存じます。

①草木国土悉皆成仏
草木国土は仏身である。みな仏の体である。物心一如、ものにもいのちがある。自然にはそれ自身の価値がある。自然には神聖さがあり、信仰と畏敬の対象である。
このエコロジー原論から出発され、
②人間は自然の一部であり、自然によって生かされている。一切衆生はこれ我が四恩なり。環境も自己である。(Cf. Thomas Berry の言う「Universe-referent」としての人間観)
③自然を師とし、自然に学び、自然に規範を置く。
という規範論、法源論をお取りになり
④自然は根本的に操作不能であり、介入は慎重に最小限に留めるべきである。
との、法認識をされ、
⑤共生、公正
との、世界観を闡明され、
⑥分を知り、小欲知足、もったいない(MOTTAINAI)、節約、循環
との、環境倫理を宣明され、
⑦忘己利他、大欲清浄、布施、奉仕、作善
との、宗教倫理を窮められ
⑧先義後利、三方よし経営
との、経営学を打ち出され、
⑨倫理的な科学技術
との、科学技術の倫理原則を打ち出され、
⑩倫理的な消費
との、消費の倫理的方向づけを明確にされる、

素晴らしい「持続可能性のための精神的境界」のご提案であります。
有難う存じます。

ここに開陳させていただきますのは、小生のClaremont Conference: Seizing an Alternative: Toward an Ecological Civilization, June 4-7, 2015における発題論考:"Divine Ecozoics and Whitehead's Adventure or Resurrection Metaphysics"であります。 先生の①のエコロジー原論を私はDivine Ecozoicsと呼んでいるようであります。これは、①空(エコ)に神が至誠であり給う、という「法源」から出発して②汝らも至誠であれ、との「命法」(ゾエー)に至る、ダイナミックスの全体を「Divine Ecozoics」と呼んでおりますので、先生の①と②をふくむようであります。

ご高著への感謝の心を込めてお送りさせて頂きたく存じます。
右、御礼方々
草々不一
延原時行」)




昨日の夕暮れ、美しい新月が西に輝いていました。

ベランダの銀杏の葉っぱが落ちる寸前の写真を一枚、そして11階のベランダから眼下の公園の藤棚や紅葉、そしてブランコをパチリ。

午前中、市場に買い物に行くときの数枚と帰りに、我が家のある11階建ての住宅もパチリ・・・。

半世紀近く前からお付き合いのあるご家庭の御主人がお亡くなりになり、住宅の集会所においてのご葬儀があり参列させていただきました。仏像を彫ったりしておられましたが、関係の深かった浄土真宗によるご葬儀で、多くのお孫さんたちにも見送られた、いいご葬儀でした。

午後のぶらり散歩で寫した数枚も収めます。




最後のまた、居眠り中の猫ちゃん・・。