延原時行歌集「命輝く」(第2337回)(宝塚の温泉で・・・)

            
  延原時行歌集「命輝く」(第2337回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(233−4)反省の歌三首、実にも御心の歌、妹背最後の会話の歌、ぽつりぽつりの歌、今将にの歌、新しき事の歌、ゾエ−(命)の歌、秋の日の歌、面白しの歌、神Ecozoicsげにの歌、笑み増し不思議の解の歌、溢れけりの歌、我覚りぬの歌、ポスト核時代の信の歌、英文稿の歌、新時代の歌、老松やの歌(2015年11月1日〜10日)。

    11月4日
          ゾエ―(命)の歌十首

 一 何が我嬉しと言ふも我妻の絶後の笑みにゾエ―見しほど
 二 このゾエ―岸辺の御友御声なり「空(エコ)神至誠」「至誠なれ」との
   (備考:マタイ5・48、熟読参照)
 三 遂に我御友御声を聴きしまま英文稿や完成したり
 四 御神の空なるエコに至誠なる御心こそやゾエ―生みたり
 五 ゾエ―とは「至誠なれ」との御友のや命法にして法源御心
 六 汝らの父こそ全きやそのごとく汝全かれとぞ
 七 この命法一切法を含むなり而して法源御父御心
 八 これをしも「神Ecozoics」とぞ我や呼ぶこの真実や核を超ゆるも
 九 英文稿この真実を明示せる宇宙神学げにや出でしや
 十 原爆を法源となす憲法ぞ今や不実を匡されにけり
   (備考:ケント・ギルバート「9条こそ憲法違反である」(『正論』12月号)はこの不実を明むる限り、正鵠を射るなり: 「①9条の内容は、前文、国際法に矛盾するで毛でなく、他の複数の条文とも噛み合わず、日本国民の人権を侵害している。だから私は、9条こそが憲法違反だと言っています。②日本との戦争で、米国は本当に苦戦しました。全体的な戦略には首をかしげざる得ませんが、日本軍は戦闘では本当に強かったのです。米国が勝つには勝ちましたが、米国の打撃もまた甚大だった。恐怖すら覚えるほど日本は屈強だったのです。③GHQは日本の憲法の原案を短期間で作り上げました。そのさいも日本を二度と米国に刃向かわない国にする意図が、根底にありました。④9条で軍事力を奪ったのも同じ理由です。護憲派のなかにはこれを崇高な規定だと固く信じる人もいます。⑤米国人の一人として断言します。現実はそんなことでは決してありません。ただ単に、日本を弱い国にしたいから9条を作ったのです。簡単にいえばぺナルティ、制裁です。⑥もっと言えば、9条とは、強すぎた日本から男性器を去勢した「宮刑」です。それ以外の何でもありません。早く目を覚まして下さい」。114−115頁から略記。⑤の内容は、原爆投下と一直線に繋がるものが9条なり、と言ふに尽きるなり。⑥も正しく同様なり。原爆投下の偽宣教「米国基教は絶対なり」活動の敷衍が「平和憲法」の日本国独立(1951年9月8日調印、1952年4月28日発効、サンフランシスコ講和条約)以前の施与(1947年5月3日)なり。ギルバート氏の「早く目を覚まして下さい」というのは、この点に関する日本人の覚醒を促すものの如くなり)

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今朝も上の歌(11月4日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    12月2日
          日ノ本順法の歌十八首

 一 もしもぞや今生だけが命ならその上限や戦勝つこと
 二 従ひて軍産複合体こそや最強の者ただし法なし
 三 命法や無くば軍産なべてぞや目当てなき世ぞ如何に虚しき
 四 空爆で如何に脅せどISがテロに及ぶや法なきがゆえ
 五 然れども原爆偽の法源と看做して日米和平仮構す
 六 そこにぞや出でたるものや何あらむ平和憲法安保体制
 七 この仮構存らえたるや一重にや日ノ本民の順法ありて
 八 核体制今の世にぞや順法や空に至誠の御神ありてぞ
 九 空(エコ)の場に御神至誠ましまして汝至誠なれ命法(ゾエ―)や出ず
 十 この命法「神Ecozoics」とぞ我や呼ぶ偽法源の核や超へてぞ
 十一 我信ず日ノ本民の順法や空に至誠の御神称へし
 十二 それ程に絶対無のや場所原理尊ぶ思ひ日ノ本にあり
 十三 西田がや絶対無のぞ場所や見し慧眼こそや新時代うた
 十四 日ノ本や核投下され無に接すされど其処から立ち上がりたり
 十五 我らはや核法源とせし非ず無に至誠なる御神仰げり
 十六 我信ず敗戦の日に西田師や場所的論理備へ往きしと
 十七 此処にぞや無の場(エコ)踏みしむ御神のEcozoicsぞやありありとあり
 十八 英文稿Divine Ecozoics我書し西田の思ひ打ち出ししのみ




久しぶりの宝塚劇場の観劇の後に、武庫川を挟んで向かい側にある、ちょっと贅沢すぎるお宿に案内されて、一夜をのんびりと・・・。

このお宿は、むかし一度訪ねたことがありますが、いまはかつての木造の風情は消えて、すっかりリニューアルされていました。

フロントには武者小路実篤の書が飾られ、池に大きな錦鯉が泳ぎ、季節の花々が生けられていました。

お宿にはお琴の音がながれていて、8階の露天風呂では、夕闇の山並みを望みながら、なんでも金沢から来られたというお方と時を忘れて話がはずみ・・・。


お風呂の後は夕食・・・打ち解けた語らいを延々と・・・。お汁のお椀をあけると、宝塚の歌姫たちのうたうあの楽譜が描かれていたりして・・・。



お宿からは、武庫川に遊ぶ鳥たちをながめたり、向かいの劇場を写したり・・・



同郷の漫画家・水木しげるさんの訃報を耳にしましたが、このお宿には一枚の色紙がありました。ほかの色紙や写真などと共に数枚収めます。